JALの機内誌SKYWARD、浅田次郎の連載で二回にわたって棄老伝説が取り上げられています。
「姥捨て」と呼ばれる慣習は全国のどこにでもあり、深澤七郎は『楢山節考』でその年齢を数え70歳にしていますが、それは小説に今日性を持たせるための設定。本当は60歳で姥捨てです。
令和の世では60代はまだ若く、働いている人も多いのですが、昔は60になると個人差も考慮されず、山奥へ棄てられていたのです。貧しい村を維持するための社会慣習であり、負の歴史であるから文書には残されず伝説として語り継がれてきました。
『楢山節考』の舞台は山梨県笛吹市。柳田國男の『遠野物語』とにも同じ話があり、兵庫、山口、宮崎、佐賀にも同様の伝説があると浅田次郎は書いています。
棄老の慣習が儒教的道徳の定着する以前から私たちの暮らしの中にあった、ずっとプリミティブな、ずっと土俗的なものであったと言えはすまいか。考えるだに恐ろしい話ではあるが。
もしや私たちは、はるか縄文の昔からおのれが食わんがために労働力とみなされぬ老人を山に棄て続けてきたのではあるまいか。
一方、中国でが「老」は敬語。「老師」は老いた先生ではなく、尊敬する人という意味。
なるほど。ヒップホップを指導するインストラクターを尊敬の意味を込めて「先生」と呼んでいますが、「ヒップホップの老師」がふさわしいかも。
そして、日本は儒教を取り入れましたが、老人を尊敬する文化は根付いていないようです。
中国の老人は総じて幸せに見える。朝は鳥籠を掲げて公園に集まり、茶を喫し、将棋を指し、子供ではなく老人のために設置された立派な道具で体を鍛える。どの顔も溌剌として憂いのかけらもない。
台湾の公園でも幸せそうな老人たちをよく目にしました。日本だと「公園は子どものためのものなのに、老害が我が物顔で使っている」と批判されかねません。中国では家族から疎まれている老人はいても、社会全体では老いを疎んじることはないのでしょう。
姥捨ての慣習はなくなりましたが、日本がこのままのペースで超高齢化社会へ突入すると、社会で高齢者を養うゆとりがなくなるでしょう。自立した暮らしが立ち行かなくなれば国がなんとかしてくれるという期待は望み薄です。特に子供のいない高齢者は、死の後始末を自分でつけるぐらいの覚悟が必要になるのでしょう。
62歳の私はそこまでの覚悟ができず、風車に向かうドン・キホーテのように運動や旅を続けて老化にあらがっています。