NHK朝ドラ『ちむどんどん』がようやく終盤。
半年間の長丁場ですから、帳尻合わせの回ができてしまうのはしかたがないのでしょうが、斜め見していても首をかしげることばかり。毎朝の感動までは要求しませんが、あまりにも安直な展開が続くと、このドラマは物語の冒瀆だと思ってしまいます。
東京は100人の小さな村で飲食店はほんの数軒だけ。杉並と鶴見は近隣地区。沖縄も東京からそう遠くない島で家族は何かあるたび気軽に上京。ドラマの展開に感情移入できれば、そういう設定でも受け入れられます。
あまりの批判の声にNHK会長が「ドラマということでご理解いただきたい」とコメントしましたが、ドラマだからこそフィクションの世界を本物だと錯覚しながら楽しみたいのです。
『ちむどんどん』口直しに読んでいるのがガルシア=マルケスの『物語の作り方』。
ガルシア=マルケスが主催した脚本のワークショップ記録です。
ドラマのリアリティについては、「現実というのはどの程度までたわめ、ゆがめることができるのか、本当らしく見える限界というのはどのあたりにあるのか」を見極めろとガルシア=マルケスは説きます。
「人物造形がうまくいかない時は、まずイメージを見つけよ」「奇抜な理由によるドラマの展開は視聴者に受け入れられない」「自分の知らないことや身近に感じられないことは書くべきじゃない」というアドバイスの数々。
マジックリアリズムの金字塔『百年の孤独』のリアリティについて。
『百年の孤独』は最初の1ページから最後の1ページまですべてフィクションなんだ。だけど、何年も前から文学の先生やツーリスト、それにかなりの数の読者がわたしの生まれた町であるアラカタカへ行って、マコンドがどういうところか自分の目で確かめようとするようになった。
旅行者たちは小説の舞台がどこなのか、熱心に探索します。そのうち本を読んでもいない子供たちが聞きかじった話をもとにバス停で客引きをするようになったそうです。「レメディオスの家を見学される方はこちらです」「ブエンディーア大佐が縛られていた木へ案内します」など。
最初の1ページから『百年の孤独』に引き込まれた私も、コロンビアを訪れることがあれば嬉々として子供たちの案内について行くことでしょう。東京ディズニーランドを訪れる人だって、千葉県であることをしばし忘れ、夢の国だと信じるから楽しいのです。
「フィクションが現実に取ってかわり、作り話がやがて歴史になってしまうんだから、とんでもない話だ」とガルシア=マルケスは言いますが、そんなフィクションや作り話の世界で遊びたいのです。
コロナ前の2019年9月、スペインのカディス港には大型客船が入港していました。船名は"WORLD ODYSEY"。平和なクルーズであっても、乗客一人一人にとってはホメロスの叙事詩となるほどの冒険の旅です。