毎週、NHK『笑う洋楽展』を楽しみにしています。
「いつも心にディランと仏教を」
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高円寺フェス2014で、みうらじゅんと根本敬のトークイベントがあると聞き、いそいそと出かけてきました。
みうらじゅんには、「高円寺は日本のインド」という名言がありますが、まさに高円寺ならではのトークショーでした。
レコードコレクターとして知られる二人ですが、持参したレコードを交互に披露するのですが、ジャケットが映し出されるたびに会場から笑いが漏れるようなレコードばかりでした。
自分のことは棚に上げて「なんでこれを買ったの?」と突っ込むみうらじゅん。「坊主めくりと同じ」と応戦する根本敬。坊主のようなインパクトのあるレコードを見つけたら、とにかく買う。基本的にジャケ買いのようで、レコード本体は聴いていないのも多そうです。
たまに同じレコードをコレクションしていることがあっても、二人の間には「バカとディープの境界線」があり、買う基準はそれぞれ違うとのこと。
イラストレーターや漫画家は子供がそのまま趣味や特技を職業にしたようなもので、みうらじゅんも「大人になった気になれない、若気の至りが続いている」と語っていました。
「自己イメージが実年齢と違うので、どこに着地していいかわからない」という言葉は、私も身につまされました。
会社のような組織で働いていれば、新人も入社してくるし、定年まで何年と数えたりもするでしょうが、自営業はだらだら働き続けているだけ。
しかも、子供がいないので、親として成熟することもありません。
去年の今頃も、小津安二郎のテレビドラマを観て同じようなことを考えていました。
「いつまでも終わらない放課後」
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みうらじゅんと根本敬のトークは、最後に「買っていいレコード、悪いレコード」のアドバイスに流れそうになったのですが、「基本的に買わなくていいから」と我に返るみうらじゅん。
好き勝手に集めているだけで、世の中でいう「お宝」とはまったく別の物。テレビ鑑定団が取材にきたけれど、「何の価値もない、むしろマイナス」と切って捨てられたそうです。
このあたりは、私のレニングラード・カウボーイズへの傾倒と似ています。
ハマった時期が遅すぎて、CDやビデオはオークションで買い集めるしかなかったのですが、巨大リーゼントにサングラス、旧ソ連の軍服姿のフィンランドのバンドですから、人に言ってもあきれられるだけでした。我が家にカウチサーフィンでやって来たフィンランド人でさえ、わざわざ地球の裏側まで来て、奇妙なバンドの話が出て目を白黒させていました。
みうらじゅんは、人に自慢するためにレコードを集めたわけではないけれど、職業柄か、人を楽しませるためにコレクションを使うようになって、あさましいことだけど、バランスを取るために必要だったと分析していました。
NHKの片付け番組で、アートディレクターの佐藤可士和の整然と片付けられた部屋と、コレクションが積み重なった自分の部屋が比べられたことがあると語るみうらじゅん。
そこまで吹っ切れて自分で自分を笑えるなんて、大したものです。たしかに佐藤可士和はすごい人なんだろうけれど、話がおもしろいのはみうらじゅんじゃないだろうか。
いつまでも大人になれないまま、年だけは取ってしまいましたが、「変な人だけどおもしろい」という老女になりたいものです。
『みうらじゅん責任編集ディラン本』から、みうらじゅんコレクションのレコード。
トークショーの冒頭では、あやしげなブートレッグ(海賊版)レコードの数々も披露してくれました。