スペイン巡礼に出てもサンティアゴ・デ・コンポステーラまで行かなくてもいいと思うようになったのは、司馬遼太郎の『街道をゆく 南蛮の道』の影響もあります。
前半のテーマはバスク。ピレネー山脈のふもと、フランスとスペイン双方にまたがる地方です。ベレー帽が有名で、最近ならバスクチーズケーキ。バスク人は独自の文化と言語を持っていますが、国家ではありません。
フランシスコ・ザビエルはバスク人。1924年に来日して多くの日本人から愛され完全な日本語の文章を書いたカンドウ神父は巡礼の始まりの地であるサン・ジャン・ピエ・ド・ポー出身です。
サン・ジャンに向かう通過点としてしか意識していなかったバイヨンヌに司馬遼太郎は二泊しています。そしてサン・ジャンではカンドウ神父の実家である婦人服店も訪れています。
宣教師になって遠い異国に赴任するというカンドウ神父の決断に家族は驚きましたが、父親のフェリックスは「仕方がないじゃないか、フランシスコ・ザビエルがばい菌を残して行ったんだから」と語ったそうです。日本にカトリック信仰をもたらし発展させたこの二人の偉業も意識せずに巡礼しようなんて、本末転倒です。
サン・ジャンをゆっくり味わうために連泊することにしました。二日もゆっくりすれば翌日は一気にピレネーを越えられそうですが、あえて途中の山小屋を予約。定員30人ほどの小さな宿で、夕食後に「ホワイ・カミーノ?」をテーマに一人ずつなぜ巡礼に来たかを英語でスピーチするそうです。先を急がず、同じ宿に泊まる人たちの人生を垣間見ることにします。
こんな調子で旅程を組んで、どこまで行けるでしょうか。
昼から飲んでた二人の中年男のうち一人が劇的に酔っ払ってしまい、一方の客にからむようになりやがて長丁場の一人台詞を演じ始めました。
「うるさいなあ、昼間から飲んで依存症か」と私なら思うでしょうが、司馬遼太郎は「これこそ、スペインだ。この国にきた甲斐があった」とおもしろがります。
演者から言いがかりをつけられている相手の人は顔見知りといったほどの仲らしいが、じつは心得たもので、ときどき、相手の炎の中にせりふの薪を投げこむ程度にとどめ、相手が間隔を詰めてくればしりぞき、終始しずかにふるまいつつ、そのくせ十分に演者たりえていた。
三人目の演者である巨顔のバーテンは、みごとだった。かれは眼前の演劇を無視しきって、グラスをぬぐいつづけていたが、ときどき私ども観客に
「気にしなさんな」
というふうに、ゆったりと微笑みをおくった。
「私どものスペイン旅行はこれだけでいい」とありますが、この感覚、よくわかります。私が観た劇場はセビリアのコインランドリーでした。大聖堂やカルメンの煙草工場だった大学よりもずっと記憶に残った一シーンがあります。
世界中から集まった巡礼者たち、そして中世から巡礼者を迎え続けてきた地元の人たち。各地で、どんな演劇が繰り広げられることでしょうか。先を急ぐなんてもったいない。
セビリアで泊まったホテルの中庭。スペインには、舞台になりそうな場所がたくさんあります。