先日、若い女性に「素敵ですね」とうっとりされました。
年に一度の定期健診、若い女性は看護師さんです。体重は10代の頃とほぼ変わりませんし、数値はすべて正常。毎日、検査結果を見ている看護師さんからすると、60歳の健康体を目にすると「素敵」という表現が出てくるのでしょう。
どういうわけか、体だけは強い。
若い頃、病弱な美女に「そんな健康な体に産んでもらって、親に感謝だね」と言われて、健康よりも美人に産んでもらうほうがいいと思ったものです。学校に行きたない日があっても、病気にならないので休むこともできず皆勤賞をよくもらいました。
フリーランスのライターとして順調に仕事を回してもらったのも、病気で原稿を落とすことがまったくなかったから。急に発熱したライターの替わりに入稿したこともよくあります。
サンデル教授は『実力も運のうち』で「富は才能と努力のしるしであり、貧困は怠惰のしるしである」という世界観を批判しています。
「富」を「健康」に置き換えたらどうでしょうか。
「人工透析患者は死ね」という過激な主張で炎上した元アナウンサー、「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで糖尿になって病院に入るやつの医療費は俺たちが払っているんだから、公平じゃない」と発言した元総理。彼らの意見に賛同できないのは、私はたまたま「遺伝子ガチャ」で健康を引き当てただけから。
肥満の傾向はあるのですが(兄弟はぶくぶく太っている)、30代からはほぼ毎日スポーツクラブに通いスタジオエクササイズで汗を流しています。与えられた健康を維持するために努力していると自慢したいところですが、そもそも体力のない人はスポーツクラブに通えません。一流大学に入れたのは努力の結果ではなく、努力できる環境にあった幸運のおかげなのと同じです。
そして、伊豆の「やすらぎの里」や荻窪の友永ヨーガ学院の断食で体重のコントロールに努めてきましたが、こういうプログラムはけっこう高価です。それなりの稼ぎがあったのも、運のおかげ。私の世代で進学、就職、結婚を自由に決めていいという境遇は恵まれていたし、たまたま文章を書くだけで潤沢な収入が得られた時代と場所にいました。だから、病気がちで肥満の人が怠惰であると断言してはいけません。
そしていくら健康自慢の私も、老いには勝てません。病気は自己責任なんて言っていたら、いつか特大ブーメランとなって自分に戻ってくるでしょう。
帯広のマスク姿の鹿。 コロナが収まったら、北海道のサウナ巡りを再開したいものです。