ゆるく参加しているウラナイ8が二周年を迎えました。
2周年イベントの一環として、メンバーのうち温泉好きの甘夏さんと玉紀さんとトークを実施しました。
温泉やお風呂が好きと言っても好みは微妙に異なります。
甘夏さんは子供の頃から温泉と知らずにお湯を楽しんでいたという蔵王温泉育ち。玉紀さんはアメリカ留学中、すべてが快適だったけれどシャワーだけの生活に行き詰り、ホストファミリーに頼んでバスタブに入れてもらったそうです。
そういうお二人に比べると、温泉は好きだけれど、そこまでではないと改めて感じました。私が望んでいるのは水風呂だけ。サウナは水風呂のためです。
温泉地に育った甘夏さんに対して、私は海育ち。毎年、夏が来て海に入るのが本当に楽しみでした。プールは人工的であまり好きではありません。天然水の水風呂を求めて全国をさすらっているのはこのためです。
サウナ好きになってからは、実家があった神戸に帰るたびに、六甲の天然水の水風呂を満喫していました。
同好の士と話すと、自分の好みや欲望が明らかになってきます。
そこで思い出したのが『村上海賊の娘』の源爺の教え。
ウラナイ8のデイリーメッセージでも紹介しています。
悍婦(かんぷ)にして醜女で輿入れ先が決まらないくせに、あれこれ結婚の条件を出す景(きょう)。なんとか彼女をまるめこんで大坂本願寺の兵糧入れを実現させたい源爺は、こんなアドバイスをしています。
「姫様は、すべてを欲しておられるのですな。姫様は、海賊の家に輿入れしたいと望まれ、軍書にて禁じられておるという戦にも出たいと仰せじゃ。すべての望みを叶えたいのでござりますな」
「そうだ、悪いか」
「悪うはございませぬ。ただ、何かひとつでも捨てる覚悟をなされてはどうかと思うたまでにござりまする」
しかし景は鼻で笑い「オレは全部を手に入れる女子じゃ。そう心得よ」と豪語します。源爺は年の功で「左様にござりましょうとも」とあっさり引き下がります。
「サウナの温度が低い」「サウナにテレビがある」「水風呂がぬるい」「外気浴のスペースがない」「我が物顔の主(ぬし)がいる」…と注文ばかり多い私はまるで海賊の娘のよう。源爺の教えに従って、水風呂さえあればあとは捨てる覚悟をしなくては。
昨日のトークでも紹介したサウナーのバイブル『サ道』の言葉。
ととのっただの
ととのわなかっただの…
ある状態を追い求めると
それに振り回されてしまわぬものか?
ある状態を求めれば
苦しみを生むだけではないか?
ある状態は手に入れてもやがて失ってしまう
現れては消える状態を求めるな
信じるな
ととのった特別な状態など
はじめからない!
ととのうなんてものはない!
そんなものを信じるな!
サウナを信じるな!
先月はまだ旅行できる雰囲気だったので、断捨離の思想に触れようと指宿のリヒトへ。サウナと水風呂があるのも決め手だったのですが、現地に行ってみるとコロナ対策のためサウナは休止中!
それでも水風呂があります。鹿児島湾を見渡せる山からは濛々と湯煙が立ち昇っています。山の力に満ちたお湯と水風呂があれば、サウナなんてなくてもどうってことはありません。自分の望みがはっきりしていると迷いが消えます。