翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

私にとっての聖地、登別

父方の家系は瀬戸内海沿岸にルーツがあり、真言宗です。熱心な信徒ではなく、お葬式や法要の時しか意識しません。それでも、高知を旅して室戸岬を訪れた時は「ここで空海は悟ったのか」と感慨深かったし、いつかは高野山の宿坊に泊まってみたいとあこがれていました。今は外国人の僧侶も多いそうです。

仏教の宗派の中でも真言宗はやや異端。特別な修行をして仏の真言を知るという中二病ぽいかっこよさもあります。

 

しかし、2013年のお家騒動を知って以来、私のささやかな信仰は揺らぎつつあります。

高野山真言宗のトップがお布施や賽銭など30億円を日本株のほか、トルコリラ南アフリカランド、 ブラジルレアルなどの新興国通貨に投資し巨額の含み損を抱えたのです。証券会社の言うままに投資した結果だそうです。 

 

このところ夢中になって読んでいる本。

 

舞台は中世イングランド。両親を惨殺され孤児となったフィリップは、修道院に引き取られ、頭角を現して修道院長となり大聖堂の建立に挑戦します。信仰心だけでなく、知恵と胆力を駆使して世間と渡り合う物語は痛快そのもの。それに比べて高野山の高僧のなさけないこと。

 

橘玲氏はこう書いています。

 

アンデルセンの童話「裸の王様」では、愚か者には見えない特別な布地で服を仕立てるという詐欺師に騙された王様が、裸のままパレードを行ないます。家臣や観衆たちは、自分が馬鹿だと思われないよう、見えない衣装を誉めそやしますが、そのとき一人の子どもが「王様は裸だよ!」と叫ぶのです。

高野山の不祥事は、この「裸の王様」によく似ています。密教の修法とは、愚か者には見えない布地のことなのではないでしょうか。

 高僧たちが煩悩にまみれているのなら、開創1200年の華々しい行事も鼻白んでしまいます。金銭欲にとりつかれた彼らが、今回のイベントで投資の損を取り返そうと考えたとしても不思議はないからです――もちろんこれは、こころ卑しき衆生の邪推でしょうが。

先日の玉紀さんのインナーチャイルドカード会でも裸の王様のカードを出した人がいました。「自分は実力以上に評価されているのではないか」という恐れを語ってくれましたが、結局はみんな、裸でもっともらしい服を着ているふりをしているだけなのかも。

 

この10月、登別温泉に行きました。 bob0524.hatenablog.com

 

入りきれないほど種類の多い温泉に加えてサウナと水風呂。第一滝本館は天国のような宿でした。

チェックアウトから空港バスまで時間が空くので立ち寄り湯に行く予定だったのですが、第一滝本館はチェックアウト後も自由に大浴場を使えるというのです。

ただし清掃が始まります。順番にお湯を抜いて磨き掃除に入っても浴槽の数が多いので困りません。打たせ湯は梯子をかけて高い位置まできれいにしているのを見てご苦労なことだと思いました。

チェックアウト後の暇な時間なので入浴客はほとんどいなくて、温泉・サウナ・水風呂・外気浴を堪能しました。脱衣所に戻ると、洗面所に座っている人がいました。しばらくしてまた見ると、同じ場所にうつむくように座っています。もしかして気分が悪くなっているのかも。あわてて声をかけようとして近づくと、掃除をしている人でした。洗面所の隅々まで細かいブラシで磨き上げていたのです。

 

信者から集めた浄罪を増やそうと証券会社に言われるままに投資した高野山の高僧よりも、登別の温泉で打たせ湯や洗面所を隅々まで掃除している人のほうが聖者に近いと思いました。私にとっての聖地は高野山ではなく登別です。 

 

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別府もいたるところに鬼がいましたが、登別にもいます。