伊豆のやすらぎの里養生館では、11月の寒くなりかけた時期ということもあり、水風呂に入っているのは私だけでした。「冷たくないのですか」と声をかけられ、サウナと水風呂の交互浴を説明することがよくあり、「サウナの人」と呼ばれるようになってしまいました。
滞在客の若い女性が、熱心にサウナトランスについて質問されました。
サウナの熱気に当たっていると「熱い」とだけしか考えられなくて、水風呂ではただただ「冷たい」だけ。体をよく拭いて外気に当たっていると、脳がバグを起こして熱いのか冷たいのかわからなくなり、自分の体が溶け出して世界と一体になったように感じる。それがいわゆる「ととのう」であり、サウナトランスだと説明しました。
すると彼女はこんな話をしてくれました。
「やんちゃしていた男友達がいて、危ない薬物にも手を出していたことがあったのだけど、サウナに通うようになり『合法にキメられるのなら、薬なんか要らない』と立ち直った」
彼女は地元静岡出身で、その男の子が通うようになったのはサウナ―に聖地と崇められている「しきじ」のようです。
それほど威力のある「ととのい」ですが、いつも必ずその境地に達するわけではありません。施設によってサウナの温度はまちまちですし、水風呂の温度を管理しているところもあれば、夏はぬるいことも。そして真夏と真冬の外気浴でととのうのはむずかしいでしょう。
函館の谷地頭(やちがしら)温泉。430円で温泉とサウナ、水風呂に入り放題。温泉は広々として、露天もあります。あまりにすばらしすぎて、函館に転居したいと思ったほど。
水風呂に入っていると、ご常連から声がかかりました。
「冬になると、冷たくて入れたもんじゃなくなるよ」
見れば水道の蛇口にホースをつけてそのまま水風呂に引き入れています。一切加熱しなければ、極寒の北海道の冬の水風呂は何度になるのでしょうか。そして、雪が降る中の外気浴は、ととのう前に凍死しそうです。
次にいつ来られるかわからない旅先のサウナ。ととのいの感覚は一期一会。
行こうと思ったらいつでも行ける新大久保のルビ―パレスや荻窪のなごみの湯も、この春は休業になりました。
サウナのととのいだけでなく、人との出会いも文字通り一期一会。「またきっと会いましょう」と帰国して行った外国人の教え子たちは今ごろどうしているでしょうか。そして、そのうち同窓会でも開こうと声をかけあっていた昔の同級生たちともずいぶん長い間会っていません。
残された人生の時間が少なくなるにつれて、一度きりの体験がますます貴重なものになってきます。