東京のコロナは一向に収まらず、梅雨の長雨をさらに気の重いものにしています。
「マコンドでは4年11カ月と2日雨が降り続いたのだから」と、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』をまた読みたくなりました。ジャーナリストだったガルシア=マルケスは、具体的な数字を入れることで幻想を現実のように感じさせるマジックリアリズムの手法の一つを用いています。
「そのうち雨がやんだら」と、あれこれ計画を立てていたマコンドの人々。アメリカ資本のバナナ会社も進出するはずだったのですが、瓦礫の山が残り街は廃墟も同然の姿となります。コロナはそのうち収まるだろうと漠然と期待している今の日本の姿が重なります。
『百年の孤独』を最後に読んだのは、日本列島に次々と台風が襲来した去年の10月です。
この大作が創造された背景を知りたくて、この本を読みました。
ジャーナリスト出身で若い時はヨーロッパ各地を転々としたという経歴から、ガルシア=マルケスは裕福な家の出身だろうとイメージしていたのですが、正反対でした。
彼の下には6人の弟妹がいて、その日の食事にも事欠くような貧困に苦しむ母は長男の彼に何かと相談を持ちかけていたとあります。
学業が優秀だったので奨学金をもらって国立の高校、コロンビア大学へと進学。ボゴタ暴動と呼ばれる政治紛争のあおりで大学が閉鎖され、新聞のコラムニストに採用されたけれど、手当はほんのわずか。その後、特派員としてパリに派遣されますが、新聞社が閉鎖になり給料が届かなくなります。貧しさと忙しさに負けず小説を書き続け、著作も出版され作家として認められるようになったころ、スランプに陥り書けなくなります。
彼を救ったのは、カルロス・フエンテス。メキシコの名家出身で国際的な評価も高い作家です。作品を絶賛する書評を書いてくれただけでなく、敏腕の版権取得業者との人脈をつないでくれたおけげで、新旧両大陸で彼の本が出版されることになりました。
5年間のスランプに苦しんでいたガルシア=マルケスは、幸運の風に乗ったことを確信し、アカプルコまで家族旅行に出かけることにします。道中で15年間にわたって構想を温めてきた『百年の孤独』をどう書けばいいかを思い付き、Uターンします。妻のメルセーデスは良妻として知られますが、楽しみにしていた家族旅行を中止にできたのは妻の理解があったからでしょう。
「祖母が物語を語ったように書けばいい」というのがガルシア=マルケスのひらめき。なるほど、『百年の孤独』を読みだすと止まらなくなるのは、物語の続きを聞きたい子供のような状態になるからです。アルコールを飲んでいなくても、物語の魔術に酔い、読了したら夜が明けていたこともあります。
彼の祖母トランキリーナはスペイン北西部のガリシア地方出身。ケルト人が多く、現実と幻想が入り混じる民話や伝説が語り継がれてきた土地です。幼い頃の彼は、こうした話の断片を組み合わせて別の話を作り上げたというから、生まれながらの作家だったのでしょう。
それほど才能豊かな彼であっても、『百年の孤独』を書くためには運と縁の後押しが必要でした。この本のページを開くたびに、読者としてこの物語に巡り合えた幸運をしみじみと感じます。
開運術を常に考えている私は、『百年の孤独』誕生のエピソードからこの本を思い出しました。
日本語のタイトルは『いつも時間がないあなたに』ですが、著者は行動経済学者で英語の原題は"SCARCITY(欠乏)"。主に金銭の「欠乏」について書かれています。
明日の支払いをどうするかを考えなくてはいけない状態は人間の処理能力を大きく低下させます。一晩徹夜するより貧しいことのほうが、考える力を鈍らせてしまうとあります。
ガルシア=マルケスは貧しい時代でも書き続けていましたが、結婚して子供もでき家族を養っていくことを考えると、執筆に割けるエネルギーが低下していたのかもしれません。カルロス・フエンテスとつながって、経済的な不安が一掃されたことで一気に創作力が開花したのでしょう。
コロナによる経済不安が蔓延している今、 欠乏感をいかに克服するかを考えないと、ますますこの国は衰退し文化まで失われてしまいそうです。
昨年の秋に旅したスペインの港町カディスに停泊していたクルーズ船。再び船旅が楽しめるようになるのはいつのことでしょうか。