四月中旬、伊豆やすらぎの里の1週間滞在はお天気に恵まれ、連日快晴。
この旅は「海を一望するテラスで本を読みたい」という一念から実現したものです。
その本はガルシア=マルケスの自伝『生きて、語り伝える』。
帯の文からしてそそられます。
「何を記憶し、どのように語るか。それこそが人生だ――。」
代表作『百年の孤独』を読み始めると止まらなくなり、夜を徹して読了しました。奇想天外でありながら現実のどこかにありそうなマジックリアリズムはどうして生まれたのかずっと不思議でしたが、ネタはすべてガルシア=マルケスが8歳まで暮らした祖父母の家にあったのです。
昨年11月、やすらぎの里の養生館にこの本を持ち込んだのですが、手つかずのまま持って帰りました。本館の見学で海が一望できるテラスを目にして「読むならここだ!」と思ったからです。目の前に海があれば、スペインと土着の文化が濃密に混ざり合ったコロンビアのカリブ地方に思いを馳せることができます。
いつかはコロンビアに行きたいとずっと願ってきました。首都のボゴタは高地にあり、同じ国でも『百年の孤独』の舞台と文化が異なります。日本からボゴタまで飛んで、そこからカリブ地方に行こうと思えば行けるでしょうが、隣国ベネズエラの政情不安もあり、一昨年の秋の旅の行先はスペインにしました。そして今はコロンビアどころか日本の外に出ることは不可能です。
しかし、書物の旅なら心は自由に飛んでいけます。そもそもガルシア=マルケスが書いたのは過去の正確な記録ではなく、記憶に基づいた物語なのですから。
たとえば、祖父(『百年の孤独』のアウレリャノ・ブエンディア大佐のモデル)の姉のペトラおばさんの思い出。
目が見えないのに、匂いだけを道しるべにして両目が見えているかのように家の中を歩き回っている姿。腰まで垂れた長い髪、思春期の少女のような緑色の澄みきった目、ときおり自分に向けてささやくように歌う歌…。
成長したG・ガルシア=マルケスが寄宿高校から休暇で帰省し、母親にこうした思い出話を語ると、母は何かの思い違いだろうと言います。ペトラおばさんは彼が2歳の時に死んでいたのです。
人生の物語なんてそんなもの。実際に起こったことより、どう覚えているか、どのように語るかで決まるのです。