翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

沖縄と鈍感力

仕事をリタイアしたら、花粉シーズンは沖縄に長期滞在。そう決めていたのですが、スポーツクラブのダンスレッスンを長く休みたくないし、仕事も完全に切れたわけでもないので、とりあえず5泊6日の滞在。最初の3泊は夫も同行です。

沖縄に来るのはだいたい寒い季節。マリンスポーツはやらないので、沖縄の暖かさをひたすら楽しみたいのです。夏になると観光客も多くなるし。そして、JALマイラーとしては、羽田沖縄便がマイルを貯めやすいから。先日、草津温泉にバスでいきましたが、自宅からの所要時間では沖縄と草津はそれほど変わりません。

 

占い学校で知り合った友人に沖縄の話をすると、彼女は沖縄が苦手だと言います。太平洋戦争の沖縄戦のイメージが迫ってきて、とても楽しめないそうです。一緒に四柱推命や易を学びましたが、リピーターのお客さんだけで予定が一杯になり新規予約が取れないほどの凄腕占い師となった彼女と、対面鑑定はやめてしまった私との違いがここにあるのでしょう。彼女の故郷の島根県を定期的に訪れていますが、温泉のお湯の質が素晴らしくて何度も来たいという私に対して「広島の被爆者が療養のために来ていた温泉だから、お湯はよくても気が滅入ることがある」とも話してくれました。私は目に見えない世界には鈍感なのです。

そんなことを考えたのも、久しぶりに司馬遼太郎の『街道をゆく 沖縄・先島への道』を再読したからです。1923年生まれの司馬遼太郎昭和19年、学徒動員された連隊で栃木にいてアメリカ軍が関東に上陸したら出動することになっていました。敵が上陸して東京を始め沿岸地帯の住人が関東の山地に逃げるために北上してきたら、連隊は進めない。どうしたらいいのかと問う司馬遼太郎大本営から来た上官は少し戸惑ったけれど、押し殺したような小さな声で「轢っ殺してゆけ」と答えたそうです。同国人の居住する地域で地上戦を行うとはそういうことかと司馬遼太郎が絶望した状況が関東ではなく沖縄で起こったわけで「何度か那覇に来たが、平静な気持ちで夜を過ごせたことがない」というのもよくわかります。

 

観光客でにぎわう国際通りをぶらぶら歩き、のどが乾けばオリオンビール。敵国だったアメリカの文化もすっかり根付き、ハンバーガーやステーキハウスがいたるところにあります。お店や観光地で接する沖縄の人たちは明るく大らか。私にとって沖縄はいつ来ても楽しい場所なのは鈍感力のおかげです。

 

那覇に来るたびに立ち寄るタオル屋さんの店長、みーたん。お店の真ん中でお休み中ですが、店長目当てにやって来るお客さんは触り放題。「お客さんにたくさんなでられて、毛並みがつやつやです」と店の人。寝ながら接客できるのも鈍感力のなせる技か。もともとはマイケルという野良猫と一緒にいた子猫で、てっきり親子だろうと思って世話をしていたらマイケルはどこかに行ってしまいみーたんだけが残されて店で飼うことにしたそうです。今では部下が2匹もいます。