翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

那覇ポンコツ旅行

家で晩酌し、酔っ払った勢いでJALの「どこかにマイル」。夫が「札幌、大分、鹿児島、那覇」という組み合わせを出したので、その場のノリで申込みました。夫の休暇に合わせた一泊二日の弾丸旅行です。

往復交通費がかかるのは羽田までなので、我が家にとっては箱根や伊豆の温泉に行くより敷居が低いのです。札幌なら丸駒、大分は別府、鹿児島なら霧島と比較的空港から近い温泉での一泊を想定していました。

当たったのは那覇。飛行距離は長いものの、那覇空港は「ゆいレール」が直結しているので街へのアクセスは抜群です。

宿泊先は、先月、夫が一人で泊まってとてもよかったという「HOTEL SANSUI NAHA 波の上温泉」。オープンしたばかりでとてもきれいで、サウナ水風呂完備。周辺が風俗街という微妙な立地ですが、波の上宮の近くです。南国の人はあまりサウナが好きではないのか、サウナは常に私だけの貸し切り状態でした。

 

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チェックインして温泉とサウナを堪能したら、大好きな居酒屋へ。

 

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店名「むるぶし」は、群星という意味。「はいむるぶし」は南十字星です。

国際通りから少し離れているので、観光客よりご常連の多い店です。女将さんがお菓子好きで会計時に沖縄のお菓子をもらうようになりました。お返しとして東京のお菓子を持っていくようになり、いまや物々交換のようになっています。

 

オリオンビールの生と泡盛ですっかりいい気分になり、ゆいレールに乗ってホテルへ。降車時にバッグから切符を取り出した際、ホテルのカードキーも一緒に出てしまったようです。私は気が付かなかったのですが、近くにいた人が「落ちましたよ」と声をかけてくれたので、拾うことができました。改札を出たところで、「本当に助かりました」と重ねてお礼を伝えました。

 

そんなことがあったのにも関わらず、ホテルに着いたらまたカードキーがありません。夫の鍵があるから部屋に戻れたものの、カードキーがなければエレベーターにも乗れません。部屋でバッグをひっくり返して探したものの見つかりません。まったく、どこまで間抜けなのか。調子に乗って飲むからだと自己嫌悪。フロントで2000円払って再発行してもらいました。

 

しばらくしてフロントから「カードキーが見つかったので、2000円をお返しします」と電話。帰る途中で立ち寄ったスーパーから電話があり、ホテルのスタッフが取りに行ってくださったそうです。

 

スーパーで落としたのは、この写真を撮るためにスマホを取り出した時だと思います。

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沖縄のお墓参りといえば「清明祭(シーミー)」。四月の節入である清明から2~3週間ほど週末を中心に縁者が集まり、お墓の前で重箱を広げます。中国から伝わった風習で、春分の半月後、万物が清々しく明るい時期に死者への思いを新たにするそうです。ローソクやお線香の隣の棚には、ピクニック用品のような容器も並んでいました。

同じ日本とはいえ、沖縄の文化は独特。街には「沖縄復帰50年」の垂れ幕もありました。私が小学生の頃、沖縄はアメリカの統治下にありました。クラスの誰かが沖縄に行った時、先生が「沖縄は普通ならとても行けない珍しいところです」と説明したのを覚えています。お金も円ではなくドルだったと聞き、私もいつか行けるだろうかと子供心に考えたのをよく覚えています。

ウクライナ侵略がらみで「日本を占領したのがソ連ではなくアメリカでよかった。アメリカは領土的野心がないから、沖縄も返してくれた」という書き込みがありました。たしかに。ソ連の占領下に入ったら、今頃私たちはロシア語を話していたのかもしれません。そして那覇は、ホテルのルームキーを二度落としても、二度とも返って来るというやさしい街にはなっていなかったでしょう。