50代も半ばを過ぎた私の両親は80代。この年代は子どもも2、3人いて、「親の老後は子どもが何とかしてくれる」という考えがぎりぎり残っているあたりでしょうか。
両親は、進学も結婚も私の好きな通りにさせてくれました。その点は感謝しているのですが、ここ数年、親の介護が降りかかってきて気の滅入ることが続いています。
母はそれなりの危機感はあったはずなんですが、ふたを開ければ、具体的なことは何もしていませんでした。
パーキンソン病を発病し、消化器官の筋肉が動かなくなり「このままでは栄養失調で死んでしまう」と医者に言われるままに胃ろうを装着。この決断を私はまちがっていたと思っています。母も望んでいなかったはずです。しかし、父と兄は「胃ろうを付けていなかったら、死んでいた」と言うので、どうしようもなかった選択でした。
老いによる衰えはしかたがありません。私がため息をつきたくなるのは、手続き関係の煩雑さです。
数年前、母の実家から連絡がありました。地方で手広く事業をしていたのですが、事業をたたみ、広めの土地を売ることに。これから人口減の時代になり、地方の土地が売れるのは最後のチャンス。この機を逃してはいけません。
問題は、胃ろうを始めて母が判断能力を失ってしまったこと。人間は口で咀嚼することで脳が動くのです。胃に直接、栄養を注入して肉体を生かすことはできますが、頭脳は死んでしまいます。
母の実家は、土地に関して何の相続手続きもせずそのままにしていました。母は3人きょうだい。母以外の2人は自分の意志で土地の売却ができますが、母は成人後見人をつけるしかありません。
土地を売ったお金は母の実家を継いだ人のもので、うちは一銭たりとももらわないのに、成人後見人関連の作業の煩雑なことといったら…。 。売却は終わって、後見人はもう要らないといっても、一度始めたらやめることはできないそうです。
フリーランスのライター業だけなら、パソコンとネットさえあればどこでも仕事ができます。でも、日本語教師業は決められた時間に決められた場所に絶対に行かないといけません。飛行機か新幹線を使っての帰省はかなりの負担です。
関われば関わるほど面倒な親の老後の後始末。
産み育ててもらったのに、なんという親不孝。
そう思いましたが、易の卦、山風蠱(さんぷうこ)にも似たようなことがあります。「蠱」とは、皿の上の三匹の虫。食物が腐って虫がわいた状態です。岩波文庫の「易経」には「壊乱腐敗」とあります。
初爻の爻辞(こうじ)は「父の蠱(やぶれ)を幹(ただ)す」。
父の残した破れを子が収拾します。
二爻は「母の蠱(やぶれ)を幹(ただ)す」。母は父ほど剛毅ではないので、あまり貞固方正にしすぎてはいけないとあります。
古代中国から親の後始末は子の役目。そう割り切って淡々と進めるしかありません 。そして子のいない私は自分の蠱(やぶれ)は自分で始末して、この世を去りたいものです。