前回に続いて「コレラの時代の愛」について。
フェルミーナ・ダーサの夫、ウルビーノ博士は医師です。
小説の冒頭は、ウルビーノ博士の友人、ジェレミア・ド・サン・タムールが自殺した現場。「60になったら、どんなことがあっても自らの命を絶つ」と恋人に宣言していたのです。
還暦という言葉がない南米でも、60歳は一つの区切りなのでしょうか。
先日、死が公表された原節子は95歳の大往生でしたが、小津安二郎は1903年12月12日に生まれ、還暦を迎えた誕生日の1963年12月12日に亡くなっています。
ウルビーノ博士は友人の死を受け入れます。
医師としての彼の信条は「人は自分の死の主人である。したがって、われわれ医者にできるのは、そのときが来たら、恐怖や苦痛を感じないで死を迎えられるように手助けすることだけだ」というものですから。
今の日本では、こんなふうに考えている医師は何割ぐらいなのでしょうか?
願わくば、死の床ではそういう医師と巡り合いたいものです。もっと理想を言えば、医師の手を借りずに自然に死ぬことができればいいのですが。
先日、週刊文春に掲載されていた『平穏死のすすめ』の著者、石飛幸三医師のインタビューを思わずメモしました。
人は老衰になると身体が食べ物を求めなくなる。最後のときが近づいてくると食べることを自然とやめ、いずれ何日も眠るようになり、静かに穏やかに息を引き取っていく。
(中略)
枕元に酒だけを切らさないようにおいてくれれば、それでいい。最後はその酒も飲みたくなくなり、眠って眠っていつのまにか死んで行くんだ。
こういう死に方をするにはどうすればいいのでしょうか。
スウェーデンには「寝たきり老人」がいないそうなので、北欧に移住するという選択もありますが、あまり現実的ではありません。
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そして枕元に置いてもらう酒は何にするか。
一番好きな酒はビールですが、枕元に置いておくうちに炭酸が抜けるのでふさわしくありません。理想はシャルトリューズ。フランスの修道院で作られるリキュールです。
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