翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

フェルミーナ・ダーサの断捨離

ジェーン・オースティンと同じように、夢中で読んでしまうガルシア=マルケスの小説。

たとえば、「コレラの時代の愛」。

コレラの時代の愛

コレラの時代の愛

とにかく濃い小説です。

 フロレンティーノ・アリーサは、長年フェルミーナ・ダーサを愛し続けたが、結局報われることはなかった。五十一年九カ月と四日間、彼女のことを片時も忘れることはなかった。

こんなことがさらりと書かれていて、「報われないまま、半世紀以上も同じ人を愛し続けるなんてできるのだろうか」という疑問を抱く暇もなく、ストーリーはどんどん展開していきます。

フロレンティーノ・アリーサを袖にして、フェルミーナ・ダーサは街一番の名士に嫁ぎます。
金銭的にも恵まれ、夫とともに世界中を旅して、目新しいものが見つかると何でも買い込みます。旅行に出るたびに、ぴかぴかに磨き上げられた金属製のとてつもなく大きくて棺のようなトランク6つ!を満杯にして持ち帰っていたのです。

月日は流れ、老境を迎えたフェルミーナ・ダーサは、断捨離を決意します。

ある朝、彼女は元気よく起き出すと、衣装ダンスを壊し、トランクの中味をぶちまけ、屋根裏部屋を取りこわし、目ざわりな衣服の山や流行しているときに使う機会のなかった帽子、皇后が戴冠式のときに履いたのをヨーロッパの職人が模倣して作った靴などを相手に仮借ない戦いをしかけた。

しかし、処分するのがもったいないように思えて、先延ばしし、結局は物置に移しただけで終わります。いくら広大な住宅でも収納スペースには限りがあり、ついには物があふれだします。

そうした品々が生活空間に侵入し、人間を押しのけ、追い詰めていき、そのすさまじい勢いに恐れをなしたフェルミーナ・ダーサは、品物を人目につかないところにしまい込んだ。彼女は自分で思っているほど整理整頓が上手ではなかった。そう見えるようにいかにも彼女らしい荒っぽいやり方、散らかっているものを隠すというやり方にしていたにすぎなかった。

日本だろうとコロンビアだろうと、物があふれる部屋や片付け下手な主婦は同じようなパターンに陥るのです。

結局、夫の死によって、難題は解決します。一定期間をおいて焚き火をし、新しい品も古い品もおかまいなく投げ込むことにしました。
そして、広くて住み心地のいい家がようやく彼女のものとなり、のんびり暮らせるようになったのです。

何でもおかまいなく捨てる境地にまで、私はまだ達していません。ミニマリストと呼ばれる人々はいう人々は、きっとこういうことができているのでしょう。

とりあえずは、物を極力増やさないこと。
そういえば、昨年の秋には「買い物断食」にチャレンジしたこともありました。
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365日も続かなくて、173日で挫折しています。
買ったのはヨガマット。大きめのバスタオルで代用できたのですが、本物の断食の通い講座をやり遂げるため、テンションを上げたくて買いました。

その後は適度に買い物をしています。
一つ決めたことは、旅先で食品以外のおみやげを買わないこと。
これはカウチサーファーのマイケル(70代)に学びました。

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そもそもフェルミーナ・ダーサがあふれる品物に圧迫されるのは、旅先で子供っぽい衝動に駆られてなんでも欲しがったからです。
以下の一節を肝に念じようと思います。

それらはもとの世界、ローマやパリ、ロンドン、あるいはチャールストンにあってこそ美しくて実用的なものであり、豚の皮をカリカリに揚げたおやつをかじりながらシュトラウスのワルツを聴き、影に入っても気温が四十度を下らないところで詩のコンクールが行われる土地に持ち込まれたとたんに、生彩を失うのは仕方のないことだった。

来年の2月にフィンランドからユハナ君が来日します。
「何か持っていくものはない? スーツケースにたくさんスペースがあるよ」とメールがありましたが、ゲイシャ・チョコか、キシリトールの歯磨きペーストを頼もうと思います。
マリメッコの大胆でカラフルなデザインはフィンランドの街並みに映えますが、色彩にあふれすぎた東京では生彩を失うのです。


こういう落ち着いた街だからこそ、目にも鮮やかな色合いのファッションやインテリアが生まれるのでしょう。