災害ボランティアが話題になっています。
道路が復旧していないのに個人が被災地に向かうと渋滞を引き起こしますし、貴重な食料や燃料を浪費することにもなるかもしれません。そもそも自治体が「能登に来るのは控えて」と公言しているのに、わざわざ出向いてSNSにアップするなんて自己顕示欲のために行ったと批判されてもしかたがないでしょう。
東日本大震災で音楽ボランティアに参加したサックス奏者の書き込みも目にしました。地震発生から半年後でしたが、「こんな時に音楽なんて」と仮設住宅の避難者から非難されたそうです。
善意の押し付けは迷惑。千羽鶴や古着などを送るのも、処理が大変でありがた迷惑になります。支援するなら寄付や義援金。
「お金はいくらあっても邪魔にならない」と言い放ったのは父方の従妹です。私が父の相続のほとんどを放棄すると聞き「どうしてそんな馬鹿なことを!」の次にこのセリフを口にしました。この従妹は子供のいない伯母の世話をしては遺産を少しでも多くもらおうとしていました。それはご苦労なことですが、結果的に裁判沙汰になり骨肉の争いを展開することとなったのです。お金は邪魔にならないどころか、紛争の種だと思いましたが、災害時はまずお金です。
寄付したことを誰にも言わずにひっそりお金を出せば文字通り陰徳ですが、それができるのはかなりの大人物に限られます。
聖書のマタイ伝より「左手に告げるなかれ」。
施しをする時、トランペットの華やかな音で触れ回ってはいけない。それは偽善者が人々から賞賛を得るために礼拝堂や通りで施しをするのと同じである。
私はあなた方に告げる。彼らはすでに報いを受けている。あなたが施しをする時に、右手がしていることを左手に告げてはいけない。善行は秘密にしなければならない。そうすればひそかに何が行われているか見ておられる神はあなたに報いるであろう。
凡人はなかなかこういうわけにはいかないし、信仰を持たない者にはむずかしいことです。
レオンの大聖堂。これだけのものを建てるには、どれだけの寄進があったのでしょうか。
「金持ちが神の国に入るのは、らくだが針の穴を通るよりむずかしい」という言葉も聖書にありますが、これも俗世に生きているとすんなり飲み込めず、悪質なカルト宗教のキャッチフレーズのようにも聞こえてしまいます。
「しない善よりする偽善」というネットスラングがありますが、自分の器に合った範囲で社会に貢献する方法を探るしかありません。