翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

諦念と受容を学ぶ旅

日本語教師養成講座は3ヶ月単位のカリキュラムで、合間に1週間の休みがあります。
休みとなれば、どこかに行きたい。
別に行かなくてもいいのに、やみくもに旅のプランを立てたくなります。
25年ほどフリーランスとして働いてきたため、毎日が仕事であり休みのようでした。だから認定された休みに過剰反応するのです。

稚内3泊4日の旅を予約しました。
航空券と宿泊がセットになった格安プラン。ツアーといっても、観光は一切なしで、空港からホテルへの移動やチェックインは自分でやるので団体行動は一切ありません。

しかし、休みなのはあくまでも講座だけ。フリーランスの仕事は予測がつかず、毎月1ページの翻訳記事の連載を8ページに拡大したいと編集者から連絡がありました。
なんとかなると思ったものの、取材に飛び回る多忙な編集者となかなか打ち合わせができません。アメリカの動向を日本に紹介するページなのですが、逐語訳ではなくページの尺に合わせて解説要素を入れていきます。

最終的に、出発前の2日間に根を詰めて帳尻を合わせました。切羽詰ればなんとかなる。こういう無茶な働き方ができるのも、あと何年でしょうか。

羽田空港から稚内へ飛び立った時はほっとしましたが、北海道は爆弾低気圧の到来で翌日から大荒れとの予報です。

午後に稚内に到着。ホテルにチェックインし、ノシャップ岬へ。天気予報からして夕日が見えるのはこの日だけだからです。副港市場の温泉とロシア料理店で楽しく夜は更けていきました。

2日目は礼文島に渡るつもりだったのですが、行きのフェリーは出ても帰りは欠航の可能性あり。
島で足止めとなり帰りの飛行機に乗れなくなると、稚内・東京の正規運賃4万円以上を払う羽目になります。花のシーズンも終わっているし、礼文島は次の機会にすることにしました。
2時間に1本のバスで50分ほどかけて宗谷岬へ。弾丸低気圧の影響で風はだんだん強くなってきましたが、外を歩けないほどではありません。

夜は吉田類を気取って、居酒屋へ。嵐のせいか、店は空いていて、酒場のご主人があれこれ稚内情報を教えてくれます。稚内空港は強風で欠航になることが多く「飛んだらラッキー」という心構えで向かうべきだそうです。
「明日は自動ドアが開かないほどの強風になる」とご主人の予言。
駅ビルで映画を観るつもりだったのですが、ほんのちょっとの距離も歩けないから、タクシーに乗りなさいとのこと。しかし、そんな天気では映画館も休みかもしれません。

3日目の明け方、揺れを感じて目が覚めました。8階の部屋です。
地震ではなく、強風でホテルが揺れているのです。


泊まったのはANAクラウンプラザ(写真は4日目の朝)。吹雪になると客もスタッフもホテルに籠城状態になるそうです。

朝食が終わる頃には風のピークは過ぎ、稚内駅まで歩いていきました。
稚内の南にある名湯・豊富(とよとみ)温泉にも行きたかったのですが、JRは全線運休です。

駅ビルにある日本最北の映画館では、客は他に外国人カップル一組のみで、ほとんどプライベートシアター状態。

BBCの『高慢と偏見』のダーシー役を観て以来、コリン・ファースのファンです。ほれぼれするようなスーツの着こなしとビールの飲み方。
スウェーデン王女が監禁されたところで画面が真っ暗に。演出かと思ったら、強風による停電です。数分後に復旧しました。

旅行会社から連絡があり、「明日の羽田行きが欠航になった場合、旭川便に変更する」とのこと。
冬の稚内空港は吹雪で欠航だらけ。稚内の人は、飛行機はそんなものだと割り切っているようです。
東京に住んでいると、自分の思いのままにどこにでも行けるような気になりますが、それは特殊なこと。稚内の人たちの感覚が当たり前です。

稚内空港に着いても、天候調査中で飛ぶのかどうか不明だったのですが、結局、予定通りの便で東京に戻ることができました。機内で「風のため羽田到着が10分遅れて15時05分になります。お急ぎのところ申し訳ありません」と機長のアナウンス。
まったく急いでないし、そもそも今日帰れるかどうかもわからなかったのだから、飛んでもらっただけで感謝しているのに。

若い頃の旅は、見聞を広めるためでしたが、中年期以降は諦念と受容を学ぶために旅に出ています。