翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)、ビジネス記事翻訳。副業で外国人に日本語を教えていましたが、2019年3月で卒業。フィンランドが大好き。ウラナイ8所属。

この世界に自分が生きる隙間を見つける

先週の朝日新聞、哲学者の古田徹也のコラムに「親ガチャ」という言葉が出てきました。

何が出て来るかわからないカプセル型のおもちゃの自動販売機「ガチャガチャ」から始まり、今はスマホのゲームのくじを指すそうです。

さらに言葉は進化し、子供がどんな親のもとに生まれてくるかを「親ガチャ」と若者は呼んでいるとか。古田徹也は東京大学文学部の先生。東大に入学できるほど優秀で、文学部進学が許されるリベラルな親を持つ学生が多いでしょう。自分たちが恵まれていることがわかっているから「親ガチャ」なんて言えるのかも。

 

スピリチュアル系では「子供は親を選んで生まれてくる」という言葉がありますが、わざわざ虐待する親のもとに生まれたいという子供がいるのでしょうか。親は選べないし、どの家に生まれるかはまさに「ガチャ」です。

シャーリー・マクレーンは『アウト・オン・ア・リム』で、人は生まれてくる前に今生のテーマを決めていて輪廻転生すると聞き、「強制収容所ガス室で殺されたユダヤ人に同じことを言える?」と反論しています(徐々に精神世界を受け入れていきますが)。

 

コラムには「親ガチャ」以外にも「顔ガチャ」「体ガチャ」「国ガチャ」「時代ガチャ」が出てきます。愛情深い両親にもとに生まれても、病弱だったり、国が政情不安定だったりで困難な人生を余儀なくされることも多いでしょう。

 

どんな「ガチャ」を引いても、そこから努力すれば人生は切り開けるというお説教は今どきの若者たちに不評です。

 

彼らの手にはいつもスマホがある。そして、その中で回るガチャが、自分の人生の寓意になっている。これは、一歩引いたところから自分や社会を捉える諧謔であり、皮肉であり、同時に深い諦念でもあるように思われる。

 

私は40年ほど前に学生でしたが、若者がここまでの諦念を持つような空気はありませんでした。日本はどんどん豊かになって、生まれる時のガチャに恵まれなくても、人並みの暮らしができるという希望が持てた時代でした。

  

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まだコロナが深刻でなかった2月初旬、種子島で見つけた小さなカフェ。

ホテルに隣接する赤尾木の湯の建物の1階にある「スキマカフェ」。ホテルをチェックアウト後、空港行きのバスまで時間があったのでお茶を飲みに入りました。一人で切り盛りしている若い女性がランチ用のカレーの仕込みをしており、店内にはいい匂いが漂っています。

コーヒーを丁寧に淹れてくれた彼女に「どうしてスキマカフェという名前なんですか」と質問すると「スキマ時間を好きな時間に」いうコンセプトとだと説明してくれました。「それに、ちょうどこのスペースが隙間みたいに空いていたんです」。

種子島の出身ではないそうです。きっとこのカフェをオープンするまでには波乱万丈の物語があったでしょうが、昼の仕込みに忙しい彼女にそれ以上の質問はできませんでした。フードメニューはどれもおいしそう。何より、カフェの切り盛りが好きで楽しんでやっている雰囲気が伝わり、とてもいい場所だと感じました。

赤尾木の湯は水風呂もあって気持ちよかったし、あらきホテルのホスピタリティも最高だったし、次は種子島にもっと長く滞在して、スキマカフェに毎日通って少しずつ話を聞いてみたいものです。

 

bob0524.hatenablog.com

 

コロナによる経済への打撃で、はずれガチャを引いた人はますます苦しくなるという深刻な社会情勢になっていますが、なんとか抜け道を探してほしい。誰もがうらやむような成功を目指すのは競争が激しいけれど、自分の適性に合った隙間さえ見つかれば、人生は展開していきます。