1月に放送された100分de名著の『風と共に去りぬ』。
若い頃に夢中になって読み、20代でアイルランドにハマってからは、別の視点で読み返しました。
「オハラ」というファミリネームはまさにアイリッシュ。オサリバン、オライリーなど、「オ」は「何々の息子」という意味です。
そして「タラ」。アイルランドの土着宗教であるドルイド教の聖地です。
スカーレットの父のジェラルド・オハラが土地の所有にこだわり、そこをタラ農園と名付けたのはアイルランドの血のなせるわざです。そしてスカーレットもその血を受け継いでいます。
スカーレットのような華やかで激しい人生とは無縁ですが、一つだけスカーレットの経験と重なりました。
母の危篤の報を受けてアトランタからタラ農園へと駆けつけるスカーレット。
時すでに遅く、母はすでに亡くなっていました。そして、頼りになる父だったジェラルド・オハラは廃人となっていました。
私の父と母は当時にしてはめずらしく恋愛結婚でした。
母の弟と父が同級生。高校時代に母の実家に遊びに来た父が母に熱烈に恋をしたそうです。
しかし、父は五人きょうだいの唯一の男の子。四人姉妹の期待を一身に背負って東京商船大学に進学しました。
自慢の弟にどんなにすばらしい嫁が来るかと期待していた姉は、自分と同い年の年増の嫁をさんざんいびったそうです。頼りになるはずの夫は外国航路に出ていて、帰国するのは数か月に一度。
私が父方の親戚とあまり付き合いたくないのはこのためです。
母はなんて不幸な結婚をしたのだろう、そして、そのゆがみが兄と私に受け継がれています。
母をそんなにつらい目に遭わせた父ですが、本気で母のことは好きだったんでしょう。
母がパーキンソン病を患ってからは限界まで自宅で老々介護をしていました。
そして母が施設に入所し、父は一人暮らし。
自費でヘルパーさんをお願いして、なんとか一人暮らしを続けていましたが、母の死の1か月前に肺炎で入院を余儀なくされました。
母の通夜と葬儀、父は病院から車椅子で参列しまいた。ささやかな家族葬でしたが、最大限に父の意向を受け入れたつもりです。
そして四十九日の法要で帰省して父に会うと、開口一番、
「お母さんが死んでしまって、自分はもう廃人になってしまった」。
不謹慎ながら、スカーレット・オハラがタラ屋敷に帰った時と同じだと思いました。
そして、本当の廃人は自分のことを廃人とは言わないものだと突っ込みも。
とはいえ、遺された父の介護をどうするか、そして行く行くは父の葬儀を出さなくてはないし、私自身の終活もあります。
スカーレット・オハラは「Tomorrow is another day. 明日は別の日」と言い切りましたが、今日の延長に明日があります。片付けられることは少しずつ片付けて、よりよい明日を迎えたいものです。