新聞広告で知りおもしろそうだと手に取った本。
- 作者: 樋野興夫
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/08/06
- メディア: 単行本
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筆者の樋野興夫(ひの・おきお)氏は順天堂大学医学部教授。専門は病理・腫瘍学ですが、「医師と患者が対等の立場でがんについて語り合う場」として、2008年に「がん哲学外来」を開設しました。
カルテも聴診器もなく、お茶とお菓子を前に患者さんと話し合う場だそうです。薬を処方するなど医学的な治療は一切せず、ただ言葉を交わすだけ。
できることなら病院には近づきたくない私も、こんな外来なら行ってみたいものです。
がんのような深刻な病を得たら、誰かと話をしたいし、聞いてもらうだけでも心が整理できると思います。
樋野氏自身が余命宣告を受けたら、残された時間で何をするかという箇所を興味深く読みました。
人生において本当に大切なものは少ない。あったとしても一つや二つぐらいのものでしょう。私はその一つ二つに一生懸命になるはずです。
私でなくてもできることは人に任せて、私にしかできないことに専念します。
<中略>
自分にしかできない役割や使命感を持った人はみな暇そうに見えました。少なくとも、私がこれまでに会ってきた人たちはそうです。
地位や名誉がある人たちだから、本当はやることがたくさんあって忙しい。でもそうした人たちは物事の優先順位を知っているから、すべてを自分でやろうとはせず、そのほとんどを人に任せ、自分にしかできないことだけをやる。
だから忙しいのに暇そうに見えた。いわゆる「暇げ」な風貌をしていた。
昔の偉い人はみなそうでした。あれもこれもじゃない。これしかない人生。
何でもかんでも「自分が、自分が」という生き方には品性が感じられません。
病気もせず、余命宣告も受けていませんが、50代半ばになると、余命を生きているようなものです。
若いころは、暇なことは恥ずかしいと思っていました。フリーランスで働いていると、暇イコール低収入ですから。打合せや取材に飛び回り、短い時間でどれだけたくさんの原稿を書いたかを自慢したくてたまらなかったのです。編集者が「こんな企画があるんだけど…」と口にすると「私が、私が」と、手一杯引き受けていました。
幸いなことに(?)、そろそろリタイア後を考える年齢になるとともに出版業界は大不況に。
残った仕事は私にしか書けないものばかりです。東洋占術の知識を活かすものとか、20年以上続けてきた業界ニュースの翻訳など。お声がかかるうちは続きますが、新規営業もしていないし、業界全体が縮小しているのですから、徐々にライター仕事はフェイドアウトしていくのでしょう。
しかし、長年の習性から、暇な状態に慣れていません。つい用事を見つけてはスケジュールを入れたくなるし、これから旅してみたい場所もたくさんあります。品性のある生き方を実現できるのは、いつになることやら。