前回、紹介した『ムーミンのふたつの顔』では、トーベ・ヤンソンが自由や孤独について語っている箇所があります。
ムーミンシリーズで、自由というと真っ先にスナフキンをイメージしますが、ヤンソンによれば、真の自由人はムーミンママだそうです。
なぜならムーミンママは「人びとのただなかにあって、孤立するのではなく、まったく動じないという意味で、みずからの孤独を保っていられる」から。
ヤンソンにとって、孤独にはネガティブなイメージがまったくなく、自由をもたらすものでした。
だからこそ、毎年、夏になると無人島で暮らし、創作に打ち込むことができたのです。
- 作者: トーベ・ヤンソン,冨原眞弓
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1999/07/01
- メディア: 単行本
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アンネのボーイフレンドの両親の別荘に招待してもらったことがありますが、周囲は森と湖で隣の家は100メートル以上先。
「ここで2ヶ月間も、何をして過ごすのですか?」という愚問を発してしまいました。フィンランド人にとって、孤独を楽しむのが何よりの休暇です。湖での魚釣り、サウナのための薪割り、森でキノコやブルーベリーを採るなど、やることもたくさんあります。
しかし、田舎の別荘暮らしが楽しめるのは体力と気力があるからこそ。近所にコンビニが何軒もある東京の安逸な暮らしに慣れている身にとっては、けっこうハードルが高いと感じます。高齢になると、ますますむずかしくなるでしょう。
ましてや、生活必需品すべてを自らのボートで運ぶ島暮らし。トーベ・ヤンソンも、ある夏、漁の網を引き上げるのが突然おっくうになります。仕事をする意欲はあっても、煙突の煤払いをしに屋根に登る気がしなくなります。
そして最後の夏、許しがたいことがおきた。海が怖くなったのだ。大きな波はもはや冒険を意味するのではなく、もっぱら自分のボートにたいする、ひいては悪天に沖合をいくすべての船にたいする――不安や責任感をかきたてるようになったのだ。
「どんな悪夢の中でも、海はいつも頼りがいのある救い」だったというヤンソンにとって、海が怖くなるのは島暮らしを終えなくてはならないというサインでした。
このとき、ヤンソンは77歳。
島を引き上げた後も、ヘルシンキ市内のアトリエで88歳まで創作を続けました。
加齢には個人差があるので、人それぞれ潮時があります。限界だと見極めたら素直に引き下がり、自分ができる範囲のことを続けるしかありません。
観光客としてクルーヴハルを訪れるのもけっこう大変です。
d.hatena.ne.jp