スイス人のナタリーをカウチサーフィンでホストしたのは、ちょうど読んでいた須賀敦子の本にナタリア・ギンズブルグとの交流が描かれていたのも理由の一つです。
ナタリアはラテン語で「神の誕生日」を意味する女性名。フランス語形がナタリーです。
- 作者: 須賀敦子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1998/08/28
- メディア: 文庫
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須賀敦子はミラノで暮らし、日本の文学作品をイタリアに翻訳していました。ある日、夫のペッピーノが持って帰った本が、ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の肖像』だったのです。
しがみつくようにして私がナタリアの本を読んでいるのを見て、夫は笑った。わかってたよ。彼はいった。書店にこの本が配達されたとき、ぱらぱらとページをめくってすぐに、これはきみの本だって思った。
その後、須賀敦子は『ある家族の肖像』の日本語訳を手がけます。そして、最初にこの小説を読んでから十年以上が過ぎ、ナタリア・ギンズブルグと会うことに。ローマの友人がナタリアの義理のいとこだったのです。
初対面なのに、友人とその家族の存在を忘れるほど話し込んでしまった二人。
須賀敦子は『ある家族の肖像』について100ほど尋ねたいことがあり、ナタリア・ギンズブルグは『源氏物語』について山のように質問したいことがあったのです。
この箇所を読んで、考えさせられました。
カウチサーフィンは、"cultural exchange"のためのソーシャルネットワークという前提ですから、私が受け取るほとんどのリクエストには「文化交流に興味がある」と書かれています。しかし多くの場合は、お題目に過ぎず、「寿司を食べた」「日本人は礼儀正しい」「公共交通機関が便利」のような通り一遍の印象を語り合うだけで終わります。
スイス人のナタリーとは本(村上春樹、エリザベス・ギルバート)、映画(浮き雲、バベルの学校)の話題で盛り上がりましたが、もしナタリアがナタリー・ギンズブルグのように『源氏物語』の愛読者だったら、私はとても彼女の好奇心を満足させることはできなかったでしょう。
須賀敦子が最愛の夫の死後もミラノにとどまり、義理の母や弟の家族だけでなく、多くのイタリア人と交流できたのは、彼女のイタリア文化への理解が深かったからだと考えていました。
そして、ナタリー・ギンズブルグとのエピソードからわかるように、自国の文化についてもしっかりとした見識を持っていたからこそ、イタリア人から敬愛されたのでしょう。
我が家でホストするカウチサーファーには、ハウスバーモントカレーをふるまうことにしています。
インド発祥のカレーがイギリスに伝わり、海軍を通じて日本にもたらされ、アメリカ・バーモント州のリンゴとハチミツを加えられました。『源氏物語』は語れなくても、日本人のソウルフードがなぜカレーなのか説明はできます。