翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

胸中に建てるべきカテドラルを抱く

折に触れて須賀敦子の本を再読します。どれか1冊を選ぶとしたら、やはりこの本。

ヴェネツィアの宿 (文春文庫)

ヴェネツィアの宿 (文春文庫)

今でこそ海外留学や国際結婚はめずらしいことではありませんが、須賀敦子がフランスやイタリアで学んだ1950年代当時、人並み外れた強い意志がなければやり遂げられないことだったでしょう。

海外へのあこがれは常にあるものの、語学やアカデミックな研究が苦手な私にとって、須賀敦子はただ崇拝するしかない対象です。

ヴェネツィアの宿』に収められた「大聖堂まで」には、「女が女らしさや人格を犠牲にしないで学問をつづけていくには、いったいどうすればいいのか」と考えていた須賀敦子を留学に突き動かしたサン=テグジュペリの言葉が紹介されています。

「自分がカテドラルを建てる人間にならなければ、意味がない。できあがったカテドラルのなかに、ぬくぬくと自分の席を得ようとする人間になってはだめだ」

須賀敦子から30年以上遅く生まれた私は、時代に恵まれ、そこまで真摯に考えなくても、簡単に海外に足を伸ばせるし、ネットでたいていの情報は手に入るようになりました。
まさに「できあがったカテドラルのなかに、ぬくぬくと自分の席を得てきた」わけです。

先日のNHKの実践ビジネス英語で、サン=テグジュペリの名言が紹介され、ようやくオリジナルの文を探しあてました(といっても、原文はフランス語でしょうけれど)。

He who bears in his heart a cathedral to be built is already victorious. He who seeks to become sexton of a finished cathedral is already defeated.
建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者なのである。

出典は『戦う操縦士』。訳は堀口大學によるもので、文の順番が入れ替わっています。
sextonとは耳慣れぬ単語ですが、教会の鐘を鳴らしたり墓穴を掘る会堂管理人や寺男のことで、「堂守や貸し椅子係の職」と訳しています。

「自分のカテドラルを建てる」のは容易なことではありませんが、でも「胸中に建てるべきカテドラルを抱く」ことなら、いくばくかの想像力があれば可能です。

須賀敦子サン=テグジュペリの言葉に揺り動かされたなら、私はボブ・ディラン

You don't necessarily have to write to be a poet. Some people work in gas stations and they're poets.
詩人であるためには、必ずしも詩を書かなくていい。ガソリンスタンドで働いていて、詩人だという人もいる。

詩人になれる才能に恵まれず、日々の糧を得る仕事に就くしかなかったとしても、詩人として生きていく道があるかもしれません。
ここまでだったら名言なのですが、ディラン先生はいつもの通り、ふざけた言葉を続けます。

I don't call myself a poet, because I don't like the word. I'm a trapeze artist.
私は自分のことを詩人とは呼ばない、嫌いだから。私は空中ブランコ乗りだ。

自分のことを「ギター弾き」と呼んで欲しいといったこともあるディラン先生ですが、「プロテスト・フォークの旗手」から一転、裏切者呼ばわりされながらロックを歌い、隠遁生活を送ったり、宗教にハマってみたりと、生き方自体が空中ブランコに乗っているかのようです。

ガソリンスタンドで働く詩人、空中ブランコに乗るギター弾き、そして胸中に建てるべきカテドラルを抱きながら、貸し椅子係として働いている人だっているはずです。


アルヴァ・アアルト設計の教会(フィンランド、セイナヨキ)