翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

縁のある場所、縁のある人

島根の旅で、縁のある場所には、自然な流れで導かれると実感しました。

島根に導かれたといえば、まず思い浮かべるのは、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)。
松江、熊本、神戸、東京と居を構えましたが、最も縁が深かったのは松江でしょう。伴侶であり日本の怪談の話し手となってくれた妻・節子ともこの地でめぐり合ったのですから。

小泉八雲の父はアイルランド人。ギリシャに駐屯していた英国連隊の軍医とギリシャ人の母の間に生まれました。

司馬遼太郎の「街道をゆく 愛蘭土紀行」を読んでいると、小泉八雲が怪談好きなのはアイルランド人だからという記述が出てきます。

 イェイツにかぎらず、アイルランド人は、妖精とオバケ、幽霊という、非キリスト教的な存在が好きなようである(キリスト教では、霊(ソウル)をもつ存在は人間だけで、キツネやネコやイヌなどはそれをもたない)。

 アイルランド小泉八雲(1850〜1904)も、イェイツと同様、幽霊、妖怪、妖精が、地上の現実よりも好きであった。イェイツはその”好き”を古ケルトの精神にむすびつけ、大きくアイルランドの民族精神に役立たせようとしたが、日本にやってきた八雲の場合、その”好き”は八百万の妖精の棲む日本に帰化するまでに徹底していた。

 かれの最初の日本体験が、神々の国である出雲だったということは、意義ふかい。山河に精霊を感じるケルト的な汎神教の世界と八百万の神々が集う出雲の国つ神の世界とを、ハーンはかさねあわせて感じたのに違いない。

若い頃の私は、アイルランドに縁があるような気がして、かの地に恋焦がれていました。
アイルランドに行ったことで、思いがけない出会いにも恵まれ、フリーランスでやっていこうという覚悟も固まりました。

アイルランドの日本庭園を巡る長い物語
http://d.hatena.ne.jp/bob0524/20120930/1348932400

アイルランドを訪れて20年もたっているのに、このネタがまた注目を集めたのは卯うれしい驚きでした。
あのタイミングでアイルランドに行ったことに意味があり、アイルランドは私に幸運をもたらす地だったとしみじみ思いました。

帰国後、アイルランド関係の原稿を書く機会も多く、小泉八雲のお孫さんに取材したことがあります。

そして今、友人の風水師・優春翠に誘われて島根に遊びに行き、小泉八雲のことを思い出し、土地や人との縁について考えています。

優春翠とは占い学校の四柱推命の講座で知り合ったのですが、初めて声をかけたのが、エレベーターの前だったことを二人ともよく覚えています。
受講生は30人近くいたのに、なぜか彼女と引き合った不思議。
あれから6年後に二人で島根の山奥の温泉に行くなんて想像もしていませんでした。
もともと私は友達が少ないし、大人になると親友なんてできないだろうと思い込んでいたのですが、縁のある人とは出会うようになっているのでしょう。

占いの対面鑑定の場では、「出会いがない」(恋愛や結婚を前提とした異性との出会い)という悩みをよく耳にします。

縁は誰にでもあるのです。それが出会いにつながっていないのはなぜなのか。
自分が純粋に心惹かれることを封印しているのも一つの原因だと思います。
人からどう評価されるか、一般社会の尺度で自分のレベルを計ったりしているうちに、ご縁があっても、気づかずやり過ごしてしまうのです。

小泉八雲が節子と結婚でき、あれほどの著作を残せたのは、妖精や精霊など、この世のものではない存在が好きだったから。アイルランド人にとっては珍しいことでなかったとしても、一般の西洋社会では異端者です。
彼は怪談好きという変わった性向を抑圧しなかったからこそ、充実した人生を送れたのです。

※出雲のハーンの住居跡です。