松江の小泉八雲記念館では、ラフカディオ・ハーンの生涯にさまざまな側面からスポットライトを当てています。
今回は、英語教師としてのハーンを中心に見て回りました。
ハーンが英語教師になったのは、日本で食べていくための方便だったのではないかと漠然と考えていました。元々はジャーナリストだったし、1890(明治23)年に来日したのも、アメリカの出版社の通信員という肩書です。
日本に来たものの、収入が不安定なため、生活の安定を図るために英語を教えるようになった…という英会話教師は、現代の英会話学校にスクールにもたくさんいるでしょう。
多彩な文体を駆使して事件報道から文芸評論までこなしていたハーンが、初級英語を教えるのはミスマッチでは?
それに、文章が上手な人が必ずしも人前でしゃべることが上手であるとは限りません。
しかし、意外なことに、ハーンは確固とした教育哲学を持つすばらしい先生で、学生からも慕われたようです。
島根の教育関係者への講演録が展示されていました。
昔の教授法はただこれはこうである、あれはあんなものだと教えていました。ただ事柄だけをむやみに覚えたのでは何の役にも立ちません。想像力をともに仕込んでおぼえさせなければほとんど無益だといっても過言ではないと私は考えます。
It is not helpful to just have students memorise facts without any thought.
I do not think it is an exaggeration to say that unless students combine memorisation with the power of their imagination.
明治の時代、しかも語学教師なのに、ハーンは記憶力より想像力を重視しました。best English より、best thinkingを教えるなんて、なんて先進的な教師だったのでしょう。
日本語教師は、現在は人手不足のため、未経験の私でも教壇に立てたわけですが、やがては教師が余るような気がします。外国語学習者は、その国の経済力に比例するとされます。4年後の東京オリンピックが終われば、一気に景気が冷え込めば、よほど奇特な人でなかれば日本語を学ぼうと思わないかもしれません。
また、ITの進化により、多くの仕事がなくなり、教師もその一つだと言われています。ネットで発音練習や文法チェックができるのなら、わざわざ来日する意味も小さくなります。
そんな中、生き残れるのは、学生の想像力を刺激できる教師でしょう。
小泉八雲記念館の前に建つハーンの胸像。