2018年も終わりつつあります。
ライター業は出版業界全体の縮小で徐々に仕事が少なくなった一年でした。
ありがたいことに週刊誌と月刊誌の連載が続いているので、本業と言えるのですが、活字媒体の衰退を思えばいつ打ち切りになるかわかりません。
副業の日本語教師も外国人労働者受け入れの流れで、どうなるかわかりません。
私がメインで教えている学校は、観光ビザで留学してくる欧米の学生が対象なので直接の影響はありません。でも、就労目的の留学生相手の日本語学校が淘汰されれば日本語教師が余り、競争が激しくなるでしょう。そもそも3年目の私が古いほうから数えて2番目となるほど流動性の高い職場ですから、数か月先のことも予測できません。
まあ、何が起こってもしかたがないか。
国は高齢者も働かせたいのだろうけど、私は還暦でリタイアしたいし。
この夏、教えた学生でひときわ印象に残ったのがアメリカ人のピーター。
ボストン生まれ、金髪碧眼のアメリカ人ですが、日本語はかなりのレベル。ボストンの日本語学校でも学び、かるた部に所属しています。
ピーターがアメリカに帰国した直後、NHKのEテレの「100分de名著」がティーンズ向けに百人一首を取り上げました。
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関
解説の木ノ下裕一氏によると、「これやこの」「行くも帰るも」「知るも知らぬも」というリズム感はまさにラップ。そして、行ったり来たり、出会ったり別れたりを繰り返すとという突き抜けた視点。
日本語学校の私が教えているクラスも「逢坂の関」みたいなものです。
毎週、新しい学生が入って来て、卒業していく学生がいます。
卒業前でも、クラスがつまらないと感じた学生は他の選択クラスに移動しますし、受講中の学生が友達を連れてくることもあります。
「はじめまして」と「さようなら」を何度も繰り返して、年末を迎えました。
日本語学校のクラスだけでなく、人生そのものが「逢坂の関」です。
初めての人は大らかに迎え、去って行く人に未練を持たない。そんな風にして来年一年も逢坂の関を楽しめたらと思います。
熊本の小泉八雲旧邸。八雲は特注して神棚を作ってもらい、毎日、拝んだそうです。
ギリシャからアイルランド、アメリカを経て日本にやって来た小泉八雲は、いったい何回の出会いと別れを体験したのでしょうか。