過去を変えることはできないけれど、過去の意味を変えることはできます。
単純な例だと、電車に乗り遅れるのは不運なことだけど、乗り遅れたから偶然、昔の知り合いに再会して、その人の紹介で恋人ができたとか。第一志望の大学に落ちて、しかたなく入った大学で生涯の目標を見つけたとか。
その後の展開によって、不運な過去が幸運に変わります。
そういうのはおめでたい考え方だと思っていました。
でも、実際にそう考えることを習慣にしている人がいるみたいです。
たとえば、フィンランド人のヘンリク君。
3年前の夏にホームステイで受け入れ、今年の3月に再来日。「育ちがいいとはこういうことなんだ」と痛感させられることばかりでした。
初めてのホストファミリーでおろおろ心配しているばかりの私は、よく彼から「It's not a big problem.(大した問題じゃないよ)!」と言われたものです。
彼は「日本留学を必ず成功させる」という強い意志を持っていました。
高温多湿で不快な7月の東京、朝夕のラッシュアワー、英語が通じない日本人、ひらがなをやっと覚えたら次はカタカナ、さらに漢字…。そうしたこともすべて含めて「日本での貴重な体験。フィンランドとはまったく違うよ」とにこにこしながら話していました。
留学終了に合わせて来日した両親とも会い、「不運を幸運に変える」のは彼の家の教育方針なんだと実感しました。
3年ぶりに再会し、過酷だった1年間の徴兵体験を話してもらいましたが、彼にとってはどんなことも、人生の糧になるのでしょう。
さて、ヘンリク君の縁によって彼が学んだ学校で日本語教師となった私。
結局、疲れ果てて辞めることとなったのですが、この3年間に投じた莫大なエネルギーは無駄だったのか。
「血迷って、バカな決断をして消耗しただけだった」となるか、「あの3年間があるから今の幸せがある」となるかは、これからの生き方次第です。
一つ言えるのは、私は暴走老人(クレームばあさん)にならなくて済むんじゃないかという予感。
私の勤めていた学校で教師はサービス業であり、学生は顧客。よく「顧客満足」の研修を受けたものでした。
この3年間のサービス業の経験を、自分がサービスを受ける側になった時に活かしたいものです。
クレームを言いたくなっても、「もしかしたら経験が浅いのかも」「体調が悪いのかも」「無理やりシフトに入らされたのかも」と想像力を駆使してぐっとこらえる。クレームは、現場で働く人を何より消耗させますから。
そして、つらいことばかりではなく、楽しいこともたくさんありました。忘れがたい印象を残したすばらしい学生たち。日本にいながら世界中の若者と交流できたのは、最高の体験でした。
3年間の経験が無駄になるかならないかは、これからの生き方次第です。
アラン・コーエンもこう言っています。
あなたの幸せは過去に何が起こったのかではなく、今この瞬間に何をするかによって決まる。
去年の5月に訪れた仙台近郊の秋保温泉。すばらしいサービスを受けた旅は、楽しい記憶として残ります。