翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

どこまでが仕事でどこから趣味?

仕事は仕事、趣味は趣味ときっちりラインを引く人もいれば、仕事と趣味が混然一体となっている人もいます。

学生時代だったら、勉強と趣味に置き換えられます。
たとえば、英語。
大学受験で英語は最も重要な科目だから、英語は趣味ではなく勉強のはずですが、試験に出る単語を暗記するより、ボブ・ディランの歌詞を読むほうが私にとっては大切でした。

村上春樹は高校時代から英語の小説を原文で読んでいたけれど、英語の成績はぱっとしなかたそうです。村上春樹より英語の成績のがいい生徒はいっぱいいたけれど、彼らは英語の本を一冊読み通すようなことはまずできない。そこで出した結論が、日本の高校における英語の授業は、生徒が生きた実際的な英語を身につけることを目的にしていないということ。

じゃあいったい何を目的としているのか? 大学受験の英語テストで高い点数を取ること、それをほとんど唯一の目的としているのです。英語で本が読めたり、外国人と日常会話ができたりなんてことは、少なくとも僕の通った公立校の英語の先生にとっては、些末なことでしかありません(「余計なこと」とまで言いませんが)。

今は高校の英語教育も変わっているのかもしれませんが、私の時代も村上春樹と似たようなものでした。
ディラン先生を通して学んだ英語は、海外を旅したり、外国人と親しくなるのに大いに役立ちましたし、細々とした翻訳の仕事も続けています。

20代の頃はゲームにハマりました。ドラゴンクエストトルネコの大冒険。仕事に穴を開けるまではいきませんでしたが、夢中になって時間を忘れ、気がついたら夜が白々と明けていたということも。

現在、日本語教師として外国人の日本オタクに教えているのですが、ゲームにハマった体験は大いに役立っています。外国人学生はRPGはドラクエよりもファイナルファンタジーを好むのですが、ゲームの話題を出すことで学生は「この教師はゲームが好きだ、自分と同類だ」という感覚を抱きます。
学生が教師に一体感を持てば、授業は一気にスムーズに展開します。

時間の無駄だと自己嫌悪に陥ったこともあるけれど、ゲームにハマっていたことが仕事に役立ちました。いや、日本語教師自体が仕事じゃなくて趣味のようなものだから、同じことです。


来日したフィンランド人によく質問されます。
「日本人は仕事が忙しすぎて過労死するというけれど、無駄な仕事が多いのでは? 単なる案内や呼び込みは機械に置き換えられるのに、どうして人間がやっているの? 日本の技術力があれば、不可能じゃないでしょ?」
フィンランド人は労働時間を短縮して長い休暇を取るため、徹底的な省力化を進めています。
たとえば、ネットで予約した番号を入力してチェックインし、自動的にクレジットカードで精算するホテル。フロントは無人です。

そうした省力化で得た長期休暇に何をするか?
フィンランド人なら、湖のほとりの別荘でのんびり過ごすのでしょうが、私には無理。何日も続くと退屈して、何かを始めたくなります。
それが仕事なのか趣味なのか、たぶん両方にまたがったことなんでしょう。


フィンランドのサウナでは、ヴィヒタ(白樺の枝)で体をたたきます。