翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)、ビジネス記事翻訳。副業で外国人に日本語を教えていましたが、2019年3月で卒業。フィンランドが大好き。ウラナイ8所属。

想像力で旅するカナダ・フィンランド

世の中は騒然とし、明日はどうなるかわからない中、こっそり帯広に行ってきました。

 

帯広では旅行者が嫌がられるということもなく、すべてがゆったりしていました。交通機関もお店も密とは程遠い状況です。

 

バスとレンタサイクルで六花の森へ。

いつもの年だったら、初夏のこの季節は北海道ガーデン街道を巡るツアーバスが押し寄せいるだろうに、ほぼ貸し切り状態でした。

 

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六花亭の包装紙に山野草を描いた画家、坂本直行のギャラリーが点在しています。

 

クロアチアの古民家を移築したそうですが、緑の切妻屋根に赤土の道となると、木立からアン・シャーリーが飛び出してきそうです。

子供の頃はカナダのプリンスエドワード島に行くのが夢でしたが、観光シーズンは日本人ばかりだと聞きました。日本語学校で教えていた頃、カナダ人の学生に『赤毛のアン』を話題に出していましたが、作文のクラスを選択するような文学少女ですら、その存在を知りませんでした。

 

アンの口癖は「想像力の余地(scope for imagination)」ですから、実際にカナダまで行かなくてもいいでしょう。北海道の初夏、心地よい風が吹き渡る六花の森では、ここがアヴォンリーの村だと想像するのは少しもむずかしくありません。

 

帯広市内に戻って、北海道ホテルのサウナへ。

2019年6月にフィンランド式サウナに改装後、初めての訪問です。サウナの壁にはヴィヒタ(白樺)の枝が吊るされています。そしてサウナストーンの横にはバケツと柄杓。ロウリュウを自分でするのもフィンランド式です。

まるでハメーンリンナのホテル・エミリアのサウナにそっくりだと思いました。

 

フィンランドを訪れたのは2013年の9月。2週間の一人旅でした。

シャイな国民性のフィンランド人は外国人となかなか親しくならないというので、旅の2年前からカウチサーフィンのホストを始めて日本好きのフィンランド人旅行者と交流することから始めました。

 

ハメーンリンナを訪れたのは、村上春樹の『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年』の舞台だったから。カウチサーフィンで知り合ったフィンランド人のヨルマがたまたまハメーンリンナ在住で同僚を紹介してくれました。ヨルマは日本の長期旅行を続けていたので、私をホストすることができなかったのです。

ヨルマの同僚、ヴィッレは二人の子供を育てるシングルファーザー。駅前広場で待ち合わせて、街を案内してもらい、森にも行きました。

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 ハメーンリンナの森。当時ノーア君は6歳でしたが、今は10代の少年に成長していることでしょう。

 

自宅に招かれて夕食までご馳走になり、ホテルまで湖畔の道を歩きました。

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フィンランドの短い夏が終わろうとしていましたが、夕食後でも街は明るく、絵画のような景色が広がっていました。

 

街に一軒しかない小さなホテルは居心地がよく、共同のサウナもありました。先客が一人いて、出張中の小学校教師だと自己紹介されました。「いいかしら?」と私に確かめて、柄杓を手に取りサウナストーンに水をかけてロウリュウを始めました。

初対面の外国人と真っ裸で交流できるのは日本人とフィンランド人ぐらいじゃないでしょうか。うわさに聞くフィンランドの学校教育について話を聞き、教師という仕事もおもしろいんじゃないかと思ったのが、日本語教師への道へとつながりました。

 

帯広の北海道ホテルのサウナに足を踏み入れたとたん、ハメーンリンナの記憶が一瞬にいてよみがえりました。

フィンランド式ですから、テレビも時計もありません。浴場には2人の客がいましたが、サウナに入るのは私だけ。まさに「想像力の余地」だらけで、好きなだけフィンランドに思いを馳せました。

 

自由に世界を旅して、見知らぬ人と交流できるようになるのはいつでしょうか。悪くすれば国内旅行もできなくなるかもしれないれど、想像力を持ち続けていればきっと大丈夫。