JALの機内誌SKYWARDに連載されている浅田次郎の『つばさよつばさ』。毎回おもしろいのですが、今月は特に考えさせられる内容でした。
ベストセラー作家の浅田次郎は着道楽。靴にもこだわりがあり、高級ブランドの革靴のおびただしい量をコレクションしているそうです。「足元を見られる」という言葉がありますが、講演会やサイン会、取材旅行など人前に出る機会も多く、足元のお洒落にも気を配っています。
ところがこの2年間はコロナで革靴を履く機会がゼロ。中山競馬場で所有馬が出走するので久々に革靴を履いて出かけたところ、左右同時に靴底が剥がれるという悲劇に見舞われます。馬主会の職員に強力接着剤を買ってきてもらったものの役に立たず、やむなく裸足で馬券を買う羽目になったそうです。
高級ブランド靴でも2年間放置でこんなことが起こるのは、革靴は日本の風土に合っていないからでしょう。
カウチサーフィンでフィンランドの日本好きの家庭に滞在し、ホームパーティ用に巻き寿司を作ったことがあります。ホストファミリーと食材の買い出しリストを作っていたところ、「海苔なら去年使ったのがある」とパントリーの奥から出てきた海苔。密閉保存していないのに、パリパリでした。日本とは気候風土がまったく違うのです。
浅田次郎は自身の靴のコレクションを「ムカデでもないのに」と自嘲していましたが、耳の痛い話です。
体は一つしかないのに、これほどの洋服がいるのか。千手観音でもないのに、やたらと買い込んだバッグ。コロナで出番がなかった洋服、靴、バッグはこの先もあまり使うことはなさそう。そして趣味で集めたペンやメモ帳などの文房具は死ぬまでに使い切れないような気がします。
トルストイの『人にはどれほどの土地がいるか』を思い出しました。日没までに歩いて回った土地は自分のものになると言われ、欲をかきすぎて命を落としたパホーム。墓の穴に必要だったのは、頭から足まで入る土地だけでした。
今後、ショッピングで財布を開きたくなった時は『人はどれほどの靴(洋服、バッグ、アクセサリー、ペン…)がいるか』と自問することにします。
日本一のサウナと賞される佐賀のらかんの湯。
サウナ巡りが趣味になって、手ぬぐいのコレクションも増えました。サウナハット替わりに濡らした手ぬぐいを頭に巻いています。
和風の洒落た柄があると「外国人のギフトにいいかも」と、つい買い込んでしまいますが、手ぬぐいは場所もとりません。そして、くたびれてきたら拭き掃除にも使えます。