獄中記を読むのが好きです。
気ままな自由業を続けてきたので、正反対の立場に興味があるのかもしれません。
晩年、施設に入った父は「家に帰りたい、ここは牢獄のよう」と嘆いていましたが、在宅介護は効率化がむずかしく、人手がかかります。高齢化がさらに進めば、今のような在宅介護は望めなくなるでしょう。いつか施設に入所しなくてはならなくなった時の予習としても読む価値があります。
ホリエモンの獄中記で知った「幸せの閾値を低くする」を実践するために、伊豆高原の断食施設に行ったこともあります。しかし、人間は易きに流れるもの。断食を終えた直後は粗食をおいしくいただけるのですが、そのうち飽食に慣れてしまいました。
アメリカの刑務所にも興味津々で、ネットフィリックスで『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』も見ました。
そして、今月読んで圧倒されたのが佐藤優『獄中記』。
外務省職員だった佐藤優が逮捕されたのは2002年。鈴木宗男のキャラが濃くて、連日大きく報道されていました。
外務省で担当していたのは主にイスラエルとロシア。「日本のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝の名誉回復に鈴木宗男と尽力したことで、外務省幹部の不興を買ったという説もあります。
そして、国後島の発電事業を三井物産が落札するように違法な便宜を図ったというのも罪状ですが、三井物産から佐藤への金品の授受は一切ありませんでした。
凡人なら憤りから精神に変調をきたすか、検察と取引して一日も早く保釈されようとするところですが、同志社大学神学部卒業のクリスチャンである佐藤はすべてを粛々と受け入れます。
外務省職員としてソ連の崩壊、ロシアの動乱を現地で体験したことも大きいようです。「名誉などというものがいかにいい加減で意味のない価値であるかということがわかった」と書いています。ここまでくると宗教者の境地です。
佐藤から弁護団への手紙にはこうあります。
その時代を与えられた条件の中で誠実に生きていくというのが、これまでの私の生き方でしたし、これからもそれに変化はないと思います。
検察は言われたとおりの仕事をしているわけですから、私が検察に対して怒りを向けるというのは全く筋違いの話なのです。要するに「運が悪かった」ということに他ならないのです。
幸せの閾値が低くなり、ささいなことに喜べるようになるのはホリエモンと同じ。とりわけ佐藤が喜んだのはノートやボールペンなど文房具、哲学や神学、語学など書籍の入手です。インスタントコーヒーを飲むことができるだけで十分幸せになれました。
ソ連や北朝鮮の収容所に比べれば生活はきわめて快適だし、シベリア大陸横断鉄道の一等寝台車のコンパートメントにお手洗いがついていると考えるようになりました。
そして、日本の刑務所は食事がなかなかいいみたいです。
おそらく、拘置所の食事がおいしいのも、料理を担当する受刑者が全力をあげて仕事に取り組んでいるからと思います。人間には生産的活動に喜びを見出という本性があるのだと思います。ちなみに本日の夕食は、ビーフカレー、シーフード・サラダ(イカ・エビ・グリーンアスパラ)、福神漬、ヨーグルトドリンクでした。一流ホテルのカフェでも十分通用する味です。
外務省の諜報活動で一流ホテルも利用していた佐藤がこういうのですから、本当なんでしょう。
博物館網走監獄の食堂で食べたランチ。たしかにおいしくて栄養のバランスもとれているようでした。
獄中ではなく世間にいても、無制限の自由を手にしているわけではありません。
欲望のままに買い物したり飽食や飲酒に走っていると、家は乱雑になり体調も崩します。物欲も食欲も抑制された獄中のほうが健全な生活が送れるとはなんたる皮肉。
博物館ではなく、リアル網走刑務所。門の前まで行くことができ、刑務作業品を買うこともできます。