断食すると五感が研ぎ澄まされ、匂いに敏感になります。
復食期間は、おかゆとみそ汁ばかり食べるのですが、かつおだしの匂いで、たちまち鹿児島の枕崎を思い出しました。
枕崎ではかつおぶし工場から鰹節のいい匂いが広がっていました。
映画『翔んで埼玉』では、空気の匂いから街を当てるシーンがありましたが、枕崎なら私にも当てられそうです。
鹿児島中央駅から指宿までの特急「たまて箱」は予約満席だったのに、指宿からのローカル線はがらがらでした。通過する駅は無人駅で、指宿・枕崎間は廃線もささやかれています。終点の枕崎で降りたのは私も含めて4人。そして、ここも無人駅です。
もうこれ以上先に行くことはなく、線路は行き止まりです。
鰹節で有名な枕崎ですが、呑んべにとっては、薩摩白波。東シナ海の打ち寄せる波を見ると「薩摩白波」は秀逸なネーミングだと改めて思いました。
明治蔵では見学と薩摩白波の試飲ができます。ランチタイムは15時までですが、駅に着いたのは14時半。電話してランチがOKなのを確かめてタクシーで向かいました。ワンメーターの距離ですが、歩くと20分以上かかりそうな場所です。
タクシーの運転手さんの話。
枕崎はどんどん人口が減って、今は2万人ほど。
「仕事がないから若者は出て行く。人口の半分は高齢者。ここで繁盛しているのは病院と葬儀社だけ」
スーツのチェーンも出店したけれど、スーツを着るような仕事がないから閉店してしまったそうです。鰹節と薩摩白波は全国的に有名だけど、それだけでは雇用は足りないのでしょう。
宿は枕崎観光ホテル岩戸。
温泉と水風呂がある理想的なホテル。
ネットの口コミでは、地元の人が立ち寄り湯として使って混雑するのが不満という人もいましたが、私はそういうお湯が好き。遠くの土地で地元の人と裸で接するなんて、こんな楽しいことがあるでしょうか。地元の人の話す鹿児島弁は半分ぐらいしかわかりませんが、旅行者の私には標準語で話しかけてくれます。
朝食のみのプランにしたので、夕食は地元の居酒屋へ。
宿の女将におすすめの居酒屋を教えてもらいました。「魚処まんぼう」はとてもおいしくてリーズナブルな店でした。
「徒歩で10分ほどかかるので、店が空いていたら送迎があるので電話してみましょうか」と女将。東京都民にとって10分程度は徒歩圏内。車の所有が前提の地域とはまったく感覚が違います。
そして、居酒屋へ歩く道でびっくりしたこと。
すれ違う人たちがみんな「こんにちは」とあいさつしてくれるのです。高齢の方から、部活動でランニング中の学生まで。たぶん、道で会うのはあいさつを交わす顔なじみばかりなんでしょう。その習慣から旅人にもあいさつしているのではないでしょうか。
翌朝、枕崎から知覧へバスで移動。
ネットで時刻表を調べて9時20分発がちょうどいいと枕崎駅のバス停へ。
宿から駅までは徒歩10分なのに、女将が「送ります」とおっしゃるので好意に甘えました。
枕崎駅前のバス停に到着し、時刻表を見ると9時20分発がありません。
え、どうしよう…と戸惑っていると、バス停の向かいの観光案内所の女性が「どうしましたか」と駆け寄ってくれました。
バスの便数が減ってネットの対応が遅れているとのこと。次のバスは11時50分。バスを待つまでの過ごし方をアドバイスしてもらいました。
不安定な天気で雨が降るかもしれないからと傘を貸してくださるとのこと。「折り畳み傘があるので大丈夫です」と言うと「傘を濡らさないほうがいいでしょう」と、至れり尽くせりの観光案内所です。
人口減に悩む枕崎ですが、そんなに悲壮感もなく、みんなのんびり暮らしているようなイメージでした。よそ者だからそう感じられるのでしょうか。
東京は地方からどんどん人を吸い込んで人口減になりそうにありませんが、誰もが先を急ぎ疲れていて、気持ちのゆとりがありません。
高齢者ばかりでも、人にやさしくできるゆとりがある街なら、それでもいいと思いますが、そんなのんきなことを言っていられないほど日本の事態は深刻なのでしょう。
東京にいると実感できないことをリアルに感じた枕崎の旅でした。