「大学教授にしてギャンブラー、旅行者であり毎晩のように女の子たちと飲んで遊ぶ」と自己紹介している植島啓司先生の本。
- 作者: 植島啓司
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/07/16
- メディア: 新書
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いつも「人間はまったく異なる二つの側面を持たねばならぬ」と思って生きてきた。ところが、インドネシアのバリ島では、もっとすごい。彼らのほとんどが、たった一日のなかで、同時に、農民であり、遊び人であり、宗教者であり、アーティストなのである。
<中略>
普通の人々も、朝は農民として働き、昼になって陽が高くなると木陰で休んだり、道端で賭け事に興じたりする。そして、夜になり、祭りの時間になるとお坊さんになったり、ガムランを演奏するグループに入ったり、トランスに入ってダンスを踊ったりと、いろいろな役割やシーンをそれぞれ演じることになる。そこでは一人の人間がいろいろな存在になることができる。西欧や日本の人々が限界を感じているのは、そういう意味での豊かさからどんどん遠ざかっている点で、こういうことはけっしてお金では得られないのである。
バリは神々の島だから、そういうこともあるだろうと感心して読んだのですが、フィンランド人のアンネと島根県川本町に行き、「ここはバリ?」と感じるに至る体験をしました。
石見神楽です。
プロの演者ではなく、会社員や農業などの職業を持つ人によるものです。昼間は働き、夜は神楽の稽古。秋になると毎晩のように神社で奉納神楽を舞い、太鼓や笛の演奏をします。
アンネは文化部の記者で、舞台や音楽の記事をよく書いています。
東京では歌舞伎や能も鑑賞しています。
そのアンネが「日本の古典芸能では石見神楽に一番感動した」と絶賛します。
タイミングよく、子供神楽の稽古を見学する機会がありました。
アンネのために、『土蜘蛛』の通し稽古を見せてくださいました。
大人でもむずかしい古語の台詞をすらすらと暗誦して、舞いも本格的です。
彼らも昼間は普通の小学生として学校で教科書を広げているはずです。優春翠によると、親が神楽をやっていなくても、子供が望めば参加できるそうです。
そして翌日の夜は、温泉津(ゆのつ)でお祭りの奉納神楽を鑑賞することができました。
石見神楽を代表する演目である『大蛇(おろち)』は大迫力。
「本当にすばらしかった。しかも無料で観られるなんて信じられない。歌舞伎のチケットは5000円もしたのよ!」とアンネ。
石見神楽は長い伝統と真摯な稽古の積み重ねにより、芸術作品となっています。
そのレベルに至らないまでも、本業以外にも打ち込めることがあると、植島啓司先生の言う通り、お金では得られない豊かさが手に入ります。
私にとっては、たとえば、このブログを書くこと。
本業がライターなんだから同じじゃないかと言われそうですが、雑誌や書籍の原稿は、編集者からの発注に応じて書くものであり、ブログのように好き勝手なテーマは選べません。
そして、ほぼ毎日、スポーツクラブのスタジオでズンバやラテンを踊ること。音楽に合わせて体を動かすと、心が解放されます。
仕事に関係ない講座で学び、本を読み、たまには旅に出て。
人間には寿命があるし、その前に老いにも直面しなくてはいけませんから、いつまでもこんなに気楽には暮らせないでしょうけど、しばらくはこの人生を味わいたいと思います。