海外旅行先で、無料で人の家に宿まる。
カウチサーフィンを一言で紹介するとこういうことになります。「そんなうまい話があるわけがない」というのが一般的な反応。
「ただほど高いものはない、危険だからやめたほうがいい」という声も聞きます。
たしかにお金は払いません。
だけど、カウチサーファーはホストを楽しませる義務があると私は考えています。
「海外からの旅人を泊めて、国際交流ができた」という満足感。これが得られないのなら、どこのお人よしがただで旅行者を泊めたりするでしょう?
人を泊めるとなると、部屋を片付け、簡単な料理を作ったり、寝具類を洗うなど、手間は増えます。
しかし、見方によっては、ホストよりサーファーのほうが疲れるのではないかと思うのです。
文化の違う異国に来て、それだけでも消耗するのに、ホテルの部屋のようにゆったりとはくつろげません。私は狭いながらも個室を提供していますが、ホストによっては、リビングルームの一画で寝るという場合もあり、そうなるとホストが寝るまで起きていなくてはいけません。
外で仕事をしているホストなら、朝8時から夜8時までは家の中に入れないといったケースもあるでしょう。
疲れているからと、早々に自分のスペースに引き上げたり、パソコンやスマホばかりいじっていて、ホストと交流しないゲストは嫌われます。カウチサーフィンを単なる無料宿泊場所と考える人は、フリーローダー(たかり屋)です。
私にとってカウチサーフィンは、吟遊詩人や宮廷道化師のイメージ。
ヨーロッパの宮廷で王に召し抱えられた詩人や道化は、美しい文章や機知に富む会話や美しい文章で人々を楽しませます。
だから、財産や地位があるわけでもなく、労働をすることもなく、華やかな宮廷生活に席を与えられるのです。
タロットカードの愚者(フール)は、さまざまな意味を持ちます。
鏡リュウジ『タロット こころの図像学』によると、15世紀半ばのヴィスコンティ・スフォルザ版の愚者は、ボロボロの衣装に髭をはやした半裸の男。「愚行」「狂人」といった悪徳を描いたものです。
17世紀から、愚者のイメージは変容し、宮廷に出入りする道化の姿となっていきます。
シェイクスピアの「リア王」を見てもわかるように、ヨーロッパの宮廷では、王にたいしてもっとも正しく正直なことをいえるのは、道化であった。道化は愚かしさの象徴でもあると同時に、日常の常識とは関係のない、透明な視点からものをいうことができる力をもった異人なのだ。
カウチサーフィンで海外を旅したいという人には、まず芸を磨きなさいとアドバイスします。
相手を楽しませる話題を選び、会話のキャッチボールができること。行き当たりばったりではなく、旅する国について予習しておけば、会話もスムーズでしょう。
語学に自信がなければ、日本料理を作ったり、折り紙、似顔絵、楽器演奏という手段もあります。私がカウチサーファーに巻き寿司をふるまっていたのも、海外でもうまく巻けるように練習したかったからです。
もちろんカウチリクエストでのアピール力も必要です。
「何月何日からそちらに行きます。ホストしてください」だけでカウチリクエストを受け付けてくれる太っ腹なホストは、それほど多くありません。
こうしたことを負担に感じるなら、ホテルに泊まって気ままに旅したほうがずっと楽でしょう。
私もヘルシンキ到着日は時差でぐったりしているだろうから、ホテルを予約しました。そして最終2日間も、会うべき人が多いのでホテル泊。スザンヌやノーラから「帰国前にも、うちに泊まって」という申し出を受けたのですが、ホストをそっちのけにして、他の人と会ってばかりいるのは失礼です。エリカと再会し、ユハナ君やマイヤちゃんとも会うことを考えてホテルにしました。
というわけで、フィンランドに道化師の旅に出ますので、次回の更新は9月13日頃を予定しています。