翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

佐賀県庁で国の光を観る

先月末の福岡経由の佐賀旅行。すっかり佐賀が気に入りました。

編集・出版業界のフリーランスの間で佐賀に移住するという話をちらほら聞いたことがあります。リモートで仕事をして、東京に来る必要があればアクセスが抜群に便利な福岡空港を利用できます。嬉野温泉へも、福岡空港国際線ターミナルから直行バスが出ていて、別府や湯布院行きもありました。東京で借家暮らしだったら、私も検討していたでしょう。家賃はぐっと安くなって、おいしい食べ物と温泉三昧の日々! しかし、佐賀県側としては、半分リタイアしたような人間に移住されても迷惑でしょう。旅行者としてのんびり訪れることにします。

 

お笑い芸人のはなわが自虐的な『佐賀県』という曲を出しているし、「佐賀には何もない」とよく言われますが、新幹線ができて佐賀駅から博多駅まで40分ほどです。

 

嬉野温泉に一泊し、佐賀駅前のビジネスホテルにも一泊。ライトアップされ、佐賀出身の偉人の像が並ぶ道を歩いて、佐賀県庁まで行きました。お目当ては屋上のレストラン。官公庁のレストラン巡りが旅のテーマの一つです。

 

観光の語源は易経「風地観」の四爻の爻辞「国の光を観る」から。国のようすを観れば、為政者の徳の高さがわかるという意味です。

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これまで旅先の県庁や市役所の食堂に行ってきましたが、職員と外部からの訪問者の共用ばかりでした。

ところが佐賀県庁のレストランは外部用。有田焼や伊万里焼の器で佐賀牛のメニューが出ます。夜も営業しており、夜景を見ながらのディナータイムが楽しめます。おそらく職員専用の食堂は別にあるのでしょう。

実はこのレストラン、コロナの影響でこの夏、運営会社が破産しています。空港でもレストランを運営しており、観光客減少が直撃したのでしょう。

県の顔でもあるレストランが休業状態なのは由々しき事態。佐賀県では運営会社を急募し、同じスタッフ、メニューで営業を再開したとのこと。このあたり、抜かりがありません。

 

レストランのある最上階はプロジェクションマッピングで観光スポット化を狙っていました。サービス精神旺盛な県庁です。

 

そして、旧知事室や旧貴賓室も一般公開されています。

廊下ですれ違う県庁職員の方々は、あきらかに観光客風の私にも愛想よく挨拶してくださり、職員一丸となって佐賀県の観光PRに力を入れていると感じられました。

 

佐賀県山口祥義知事は、昭和40年生まれで現在二期目。初当選は49歳ですから、県知事としては若いほうでしょうか。

埼玉生まれながら、両親は佐賀県出身。東大法学部から旧自治省というキャリアですから中央とのパイプも太そう。地方自治体の活性化を担当し、内閣危機管理室や消防庁にも出向経験があり災害にも強そう。絵に描いたような理想の知事のイメージです。

今月知事選があり、対立候補共産党が出ているだけですから三選は盤石で、ホテルに置いてあった地方紙によると、選挙費用の無駄だという声も出ているそうです。

 

脈絡のないお祭り騒ぎの中、その場のノリで知事が選ばれる東京都民からすると、うらやましくなります。

このままのペースで人口が減れば、どの自治体も生き残りのために必死になります。どの候補に一票を託すか、真剣に考える有権者が増えるのか。それとも、誰がなっても同じと若者が棄権し、既得権益を守ろうとする高齢者に支持される旧態依然の候補者が当選し続けるのでしょうか。

 

日本人はやっぱり勤勉

62歳の誕生日を迎えて、厚生年金がもらえることになりました。会社員だったのは数年間なので微々たる金額。繰り下げるのも面倒で、規定通りに受給することにしました。ヒップホップを踊る年金受給者です。

 

隣の駅の年金事務所に行くのは3年ぶり。母が亡くなって、実家のある区役所で「年金の手続きは全国どこの事務所でもできる」と教えてもらい、自宅の近所で続きをしたのです。事前に予約してスムーズに終わったのですが、アポなしで突撃する暴走老人も目にしました。高齢者相手の煩雑な業務、苦労が多いでしょう。

 

今回もすぐ終わるだろうと思ったのに、やたらと時間がかかりました。担当者によると、「仕事をしていない期間は第3号被保険者の資格があり、国民年金を払わなくてもいいのに、払っている月がある」とのこと。第3号、いわゆるサラリーマンの妻が夫の厚生年金にただ乗りできる制度です。

指摘された期間は30年近く前。フリーランスのライターになると同時に国民年金に加入したけれど、仕事をしてすぐ原稿料が振り込まれるわけではなく1~2か月のタイムラグがありました。その期間のことのようです。

掛け金が戻って来るというので、教えられるまま手続きをしましたが、よくもまあ、調べてくれたものです。受付だけして、さっさと終わらせることもできただろうに。

 

ガルシア=マルケスの『大佐に手紙は来ない』を思い出しました。

1965年のコロンビア。恩給支払いの手紙を15年間も待ち続けているる退役軍人(75歳)の話です。頼りの息子とは死別し、妻は喘息に苦しみ自分も胃腸の痛みを抱えています。受給資格はあるはずなのに、政治の混乱と役所の怠慢により、手紙はまったく来ません。他に収入源もない夫婦はその日に飲むコーヒーさえ事欠くほど窮乏します。

短編小説ですが、ガルシア=マルケスは「自分の最高傑作。これを読んでもらうために『百年の孤独』を書いた」と述べています。すべてが混沌とした南米で、社会の不条理に振り回される庶民の姿を描きたかったのでしょう。

 

それに比べて日本の年金事務所のなんと優秀なこと! 

消えた年金問題はありましたが、ほとんどの職員は来訪者の利益を最大限にするために働いています。

 

たまたま同じ日に目にしたネットの記事。

blog.tinect.jp

レンタカーを借りるのに2時間かかり、間違いを訂正してもらおうとすると20分30分待たされる。苦情を言うと「嫌なら借りなくていい」。

運転手を雇えば、迎えに来たホテルで勝手に朝食を食べ、その請求を回してきたあげくケーキまで食べたいという。

そんな状態でも国が保たれているからくりを興味深く読みました。

 

海外からの留学生を教えていた頃、日本のコンビニやファミレスのサービスに彼らがびっくりしていたのを思い出します。

日本はこのまま傾いていくだけかと悲観的になっていたのですが、世界から見れば日本人の勤勉さは突出しています。仕組みを改革し、まじめに働く人が報われる社会になってほしいものです。

 

ガス給湯器が故障して、本体は在庫が見つかったものの、コードをカバーする部品が欠品。工事はいつになることかと思っていのですが、11月末に無事に完了。結局、1か月待ちで済みました。

約束した日時にちゃんと工事担当者が来てくれるという当たり前のことに感動。しかも「東京ゼロエミッション」で1万円相当のポイントがもらえるそうです。人のため、社会のために尽くす年齢になりつつあるのに、先日の旅行支援といい、国からお小遣いをもらっているようで情けないかぎりです。

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フィンランドの友人からのクリスマスプレゼントが届きました。マリメッコのランチョンマット、手帳、カード、シール、お菓子など。フィンランドと日本の郵便制度がちゃんとしているから、こうしてやりとりできます。

フィンランドも社会がしっかり機能していますが、現場の労働者は日本ほど勤勉ではありません。5時閉店のショップに4時50分頃入ると「もうレジを閉めたから」と追い出されたことがあります。絶対に残業はしないという強い意志。それはそれでいいことだと思います。

誕生日にギフトを配る

11月下旬、誕生日を迎えました。

年を取ると誕生日があまりうれしくなくなります。特に還暦を過ぎてからは、おめでとうと言われても「何がめでたいものか、老いていくだけなのに」と思ったものです。

『DIE WITH ZERO ゼロで死ね』を読んで考えが変わりました。筆者のビル・パーキンスは45歳の誕生日に家族と友人をカリブ海のセント・バーツ島に招いて盛大なパーティーを開きました。セント・バーツ島までの往復航空券と1週間のホテル滞在費、食費はすべてビル・パーキンスが負担。やり手のトレーダーとして稼いではいたけれど、ちょっとためらうほどの金額だったそうです。

あの1週間のために莫大な費用を費やしたことを、まったく後悔していない。一生に一度の大規模なパーティーを開くのを、50歳の誕生日まで待たなかったのも正解だったと思っている。

実際、50歳になったときには父は他界していたし、残念ながら母の健康状態も大幅に悪化していた。兄と2人の姉妹は健在だったが、友人の何人かは天国に旅立ってしまった。だから5年前にパーティーを開いたのは良い決断だったと思う。

45歳の誕生日に、豪華なパーティーを開かないという選択肢もあった。代わりに、貯金通帳の増えていく数字を眺めながら誕生日を祝うことだってできた。だが、もしそうしていたら、いったいどんな思い出を残せただろう?

 

 

この本を読むのが遅すぎて、60代の私には誕生日にお礼を言って、もてなす両親はもういません。きょうだいとは両親が亡くなりほぼ縁が切れました。

なんとか誕生日にギフトが配れないだろうかと考え、まず夫を誕生日旅行に招待することにしました。誕生日の特権として自分の好きなスタイルの旅を企画し、夫につき合ってもらうのです。

 

根が貧乏性なのでビル・パーキンスのように豪勢なことはできず、誕生日旅行でも行先は「どこかにマイル」。

1か月前に行き先が福岡に決まりました。すでに全国旅行支援が始まっていたので、福岡から行けるめぼしい温泉宿はほぼ満室。

嬉野温泉に一軒だけ空いている旅館が見つかりました。昨年の5月に伊万里と有田、日本一のサウナと名高いらかんの湯に宿泊。最寄りの武雄温泉駅の行先案内で「嬉野温泉」を知りました。なんだか縁起の良さそうな地名。温泉の湯につかって負傷した兵士が傷を癒したのを知って神功皇后が「あな、うれしや」と喜んだことからついたそうです。

高級宿は予約できませんでしたが、夕食もおいしく、無職でとろっとしたお湯はまるで化粧水のようでした。

 

嬉野温泉の名物は湯豆腐。『美味しんぼ』にも登場する「宗庵よこ長」で楽しみました。

嬉野温泉にはレストランやカフェもあり、立ち寄り湯もたくさんあります。いつかは素泊まりの宿で長期滞在してみたいものです。

 

全国旅行支援の対象となったので、宿泊代は割引となり一泊当たり一人3000円のクーポンももらえました。うーむ、人をもてなすどころか、国からおもてなしを受けた状態です。

 

帰宅後は、年に一度の寄付の手続き。誕生日前後の日付で毎年振り込むようにしています。

税理士さんのアドバイスで始めたのですが、11月末は年間の所得がだいたいわかるし、控除証明の到着後すぐに確定申告の準備に取りかかるので寄付をするのにいいタイミングです。「このお金でもっと旅行に行けるのに」とちらりと思うこともありますが、継続して寄付しているから金運が落ちないのだと心を切り替えます。純粋な善意ではなく、金運のためという欲にまみれた下心からの寄付です。

戦略的に縮む

ガス給湯器の故障に気がついたのが11月1日。翌日には点検の人が来てくれて、応急処置をしてくれましたが、新しい給湯器の年内納品はあやしいと言われました。

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エコキュートなら在庫があると聞いたのですが、ガス管のカバー部分が欠品。とりあえず給湯器だけ交換して、カバー部分は入荷次第の工事にできるけれど、出張工事費が2回分になってしまいます。そんなに困っていないので、部品がすべてそろってからにしてもらいました。

ガス会社の人は、他社と相見積もりをとって結局断られるのを心配しているようでしたが流通網がずたずたになっているのに、そんな面倒なことをする気にもなれません。給湯器が使えなくて本当に困っているお客さんから無理を言われることも多くでしょうから、せめて我が家はノークレームの客になるべきでしょう。

 

そんなことを思うのは、ガス給湯器故障をきっかけに『未来の年表2』を読んだから。

『未来の地図1』が出た翌年の2018年発行で、日常生活で起こりえる具体的なシーンが描かれています。

 

3のスズメバチは、所有者不明の空き家にできたスズメバチの巣が駆除できないため。

6は野球部員が不足し、複数の高校が集まって合同チームを作るため。すでに2017年の鹿児島県の秋季大会で起こったそうです。

12は駅員の手助けが必要な高齢者の増加で公共交通のダイヤが乱れる上に、郊外の人口減で大幅な減便が実施されるためです。

 

こういうのを読むと、ガス給湯器の交換工事が多少延期になろうと文句を言う気もなくなります。

 

とりわけ気が重くなるのは空き家問題。過疎地だけでなく大都市でも起こります。

 空き家率が30%を超えた地域は、急速に治安が悪化し、スラム化しするという説がある。野村総合研究所の試算(2016年)では、2033年の日本の空き家率は30・4%に達すというから、もしこの説に従うならば、2030年代の日本は東京も含めて、荒んだ風景が広がることになる。

マンションは築35年を越えると上下水道の配管、空調ダクト、エレベーターなどを新しくする必要がありますが、管理組合が機能しなくなり修繕できないマンションが続出することに。一戸建てなら相続した人がなんとか手を打つかもしれませんが、マンションの場合は空き家のまま放置するしかありません。

 

風水で空き家や枯れた井戸を大凶とするのは、本来なら生命力があるはずの場所が朽ち果てているから。枯れた植木鉢を放置するのもよくありません。日本全体が空き家だらけになるのは、国力の大きな衰退の象徴です。

 

『未来の年表2』では、「戦略的に縮む」という解決策が示されていますが、前途は多難。水害が起こるたびに、安全な場所にまとまって住むコンパクトシティを推進すればいいのにと思いますが、先祖代々の土地や何十年もローンを払った家を手放すのは高齢者にはむずかしいでしょう。

そして、個人としてできることは、働けるうちは働くこと。一人で2つ以上の仕事をこなすことも勧められています。そして家の中をコンパクトにし、ライフプランを描くこと。

あと3年で高齢者の仲間入りをする私にはちょっと遅すぎるように思いますが、そのうち高齢者の定義が現在の65歳以上から70歳、75歳と上がっていくかもしれません。正直、もう働きたくないのですが、軽い仕事を2つぐらいなら続けられるかも。家の中の整理はゴールが見えず、とりあえず持ち過ぎている物を少しずつ減らしているところです。

 

衰退の先輩国、スペイン。何世紀にもわたって栄華を誇ってきた歴史遺産が街のいたるところにあり、高齢者を大切にする国民性は大いに参考になります。

サンティアゴ・コンポステーラへの道は全世界からやって来た数万人の巡礼者が歩きます。四国のお遍路さんももっとPRすれば興味を抱く外国人旅行者はかなりいるはず。「外国人に合わせる必要はない」という声もあるようですが、ちゃんと整備すれば貴重な外貨獲得ルートの一つになるでしょう。

 

供養の形は人それぞれ

サンティアゴ・デ・コンポステーラの道を歩く準備は、長時間歩くトレーニングだけではありません。

体験記を読んでいると、一人で歩いていても、道中や巡礼者用の宿で「何のために歩くのか」を話し、聞く機会が多いようです。カトリックの信者でないのにスペインで巡礼する理由を考えておかなくてはいけません。

本音では、年を取るとバックパッカーの旅が似合わないけれど、巡礼ならシニアもたくさん歩いていると聞いたから。

あるいは、『わたしに会うまでの1600キロ』を読んで長い距離を一人で歩いてみたくなったけれど、山が苦手なので平坦な道が多いスペインを選んだ。

一般的な答えとしては、仕事も暇になってそろそろリタイアなので、人生を見つめ直すために来た。

どれもつまらないし、説得力がありません。

 

そこで頭に浮かんだのが、両親の供養。

作家の清水義範が親御さんの供養のために永平寺の宿坊に滞在したという話を思い出しました。

実家は真言宗なので、本来なら四国八十八か所を歩くか、高野山にこもるべきですが、スペインで許してもらいましょう。英語を学んで海外に出ることを喜んでいた両親ですから、スペイン巡礼もおもしがってくれるでしょう。

1日20キロ、40日かけて800キロを歩くのが標準ですが、魂が転生する49日を目安に歩いてみようと思います。

 

お坊さんを呼んで法要を執り行ったり、お墓参りだけでなく、故人に思いを馳せることも供養になると思います。

 

向田邦子は、一切泣くことなく急死した父の葬儀一式を執り行ったそうです。しっかり者の長女として気を張っていたからでしょう。

四十九日を過ぎて、友人と旅行へ。土産物屋で無意識のうちに父の好物を買おうとして、買って帰っても父はいないと気づいて堰を切ったかのように涙が止まらなくなったというエッセイを読んだことがあります。

 

先日の八丈島の旅。船乗りの家系なので、片道約11時間の船旅もまったく苦痛じゃありませんでした。

父は外国航路の船乗りで、現役ぎりぎりの72歳まで瀬戸内海航路の水先案内人を勤めましたから、陸より海上で過ごす時間のほうが長かったのでは。船の上でどんなことを考えて過ごしていたのでしょう。父は私と違ってアルコールを飲めない体質なのでさぞかし夜が長かったと思います。

 

竹島桟橋を夜に出航し、三宅島が近づく頃、日の出が見えました。