11月下旬、誕生日を迎えました。
年を取ると誕生日があまりうれしくなくなります。特に還暦を過ぎてからは、おめでとうと言われても「何がめでたいものか、老いていくだけなのに」と思ったものです。
『DIE WITH ZERO ゼロで死ね』を読んで考えが変わりました。筆者のビル・パーキンスは45歳の誕生日に家族と友人をカリブ海のセント・バーツ島に招いて盛大なパーティーを開きました。セント・バーツ島までの往復航空券と1週間のホテル滞在費、食費はすべてビル・パーキンスが負担。やり手のトレーダーとして稼いではいたけれど、ちょっとためらうほどの金額だったそうです。
あの1週間のために莫大な費用を費やしたことを、まったく後悔していない。一生に一度の大規模なパーティーを開くのを、50歳の誕生日まで待たなかったのも正解だったと思っている。
実際、50歳になったときには父は他界していたし、残念ながら母の健康状態も大幅に悪化していた。兄と2人の姉妹は健在だったが、友人の何人かは天国に旅立ってしまった。だから5年前にパーティーを開いたのは良い決断だったと思う。
45歳の誕生日に、豪華なパーティーを開かないという選択肢もあった。代わりに、貯金通帳の増えていく数字を眺めながら誕生日を祝うことだってできた。だが、もしそうしていたら、いったいどんな思い出を残せただろう?
この本を読むのが遅すぎて、60代の私には誕生日にお礼を言って、もてなす両親はもういません。きょうだいとは両親が亡くなりほぼ縁が切れました。
なんとか誕生日にギフトが配れないだろうかと考え、まず夫を誕生日旅行に招待することにしました。誕生日の特権として自分の好きなスタイルの旅を企画し、夫につき合ってもらうのです。
根が貧乏性なのでビル・パーキンスのように豪勢なことはできず、誕生日旅行でも行先は「どこかにマイル」。
1か月前に行き先が福岡に決まりました。すでに全国旅行支援が始まっていたので、福岡から行けるめぼしい温泉宿はほぼ満室。
嬉野温泉に一軒だけ空いている旅館が見つかりました。昨年の5月に伊万里と有田、日本一のサウナと名高いらかんの湯に宿泊。最寄りの武雄温泉駅の行先案内で「嬉野温泉」を知りました。なんだか縁起の良さそうな地名。温泉の湯につかって負傷した兵士が傷を癒したのを知って神功皇后が「あな、うれしや」と喜んだことからついたそうです。
高級宿は予約できませんでしたが、夕食もおいしく、無職でとろっとしたお湯はまるで化粧水のようでした。
嬉野温泉の名物は湯豆腐。『美味しんぼ』にも登場する「宗庵よこ長」で楽しみました。
嬉野温泉にはレストランやカフェもあり、立ち寄り湯もたくさんあります。いつかは素泊まりの宿で長期滞在してみたいものです。
全国旅行支援の対象となったので、宿泊代は割引となり一泊当たり一人3000円のクーポンももらえました。うーむ、人をもてなすどころか、国からおもてなしを受けた状態です。
帰宅後は、年に一度の寄付の手続き。誕生日前後の日付で毎年振り込むようにしています。
税理士さんのアドバイスで始めたのですが、11月末は年間の所得がだいたいわかるし、控除証明の到着後すぐに確定申告の準備に取りかかるので寄付をするのにいいタイミングです。「このお金でもっと旅行に行けるのに」とちらりと思うこともありますが、継続して寄付しているから金運が落ちないのだと心を切り替えます。純粋な善意ではなく、金運のためという欲にまみれた下心からの寄付です。