冬が到来し、コロナがまた心配になってきましたが、ひっそりと青森に出かけました。緊急事態宣言が解除された時にJALの「また旅に出よう」キャンペーンで申し込んでおいたものです。
どうしても行きたかったのは、還暦を迎える誕生日旅行だったからです。
東洋占術を学ぶ者にとって、生まれた年と同じ六十干支が巡って来る年は感慨もひとしおです。一通り人生を体験して、新たなステージといえばかっこいいですが、遠野物語などでは、還暦を迎えたら口減らしのために姥捨て山に送られています。
姥捨て山ではあんまりなので「余生」と思うことにします。元日本一有名なニートのphaさんは「30歳を超えてから余生と思うことにした」そうですが、その倍の60歳にしてようやくその境地になりました。
青森のひなびた温泉でゆっくりして、余生の過ごし方に思いを馳せる予定でしたが、東京はGO TOキャンペーン中止にならなかったものの、東京から地方に行くのはちょっとはばかられる状況。できるだけ静かに行動しました。
どこか地方に行ったらまずドーミーインに泊まることにしているのですが、青森にはドーミーインがありません。そこで弘前へ向かったのですが、今まで泊まったドーミーインの中で最高レベルでした。
女性用サウナは広々としてテレビがありません。水風呂もいい感じ。露天風呂の椅子に座って岩木山を見ながらととのいました。
翌日は青森経由で浅虫温泉へ移動。
本当はウラナイ8の玉紀さんに教わった八甲田ホテルに泊まりたかったのですが、早々と満室。GO TOは高い宿から予約が埋まるようです。
そこで浅虫温泉でサウナと水風呂のある椿館にしました。ここのサウナもテレビがないし、水風呂もきりっと冷え、温泉のお湯は無色無臭ながらとても深い力を感じました。
椿館は棟方志功ゆかりの宿で数々の作品が飾られています。
棟方志功は「ワだばゴッホになる」と青森から上京し、最初に住んだのが私が30年近く住み続けている阿佐ヶ谷と知り、がぜん興味が湧いてきました。当時の阿佐ヶ谷は郊外の新興住宅地で家賃の安さに引かれて若い文士人たちが住み着いていたのです。正規の美術教育を受けていない棟方志功は阿佐ヶ谷文士村の交流を通して世に出たのではないでしょうか。版画家として名声を確立した後、浅虫温泉、酸ヶ湯温泉、蔦温泉でしばしば静養したと知り、酸ヶ湯や蔦温泉にも行きたくなりました。
そして椿館には姉妹館「宿屋つばき」があり、ビジネスホテル形式で手軽に一人泊ができ、椿館のお風呂に自由に入れると聞きました。次は「宿屋つばき」に長期滞在したい…。
還暦を過ぎて余生を生きるはずなのに、欲が強すぎる。滞在したいところが次々にできて、一生のうちに回れるかどうかわかりません。