翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

出会いが幸運をもたらす

ムーミンのふたつの顔』を読むと、ムーミンフィンランド国内だけでなく世界的な人気キャラクターとなった背景には、3つの重要な出会いがあったことがわかります。

まず、ムーミンとイギリス人教師との出会い。
ヘルシンキで英語を教えていたイギリス人、エリザベス・ポーチが『たのしいムーミン一家』を英訳。仕事ではなく、趣味の延長上としての翻訳でした。

そして、ヤンソンのアトリエを一夏借りた肖像画家のケネス・グリーン。
ヤンソンは毎年、夏は島で暮らしていたのでアトリエを期間限定で貸していたのでしょう(願わくば私も、そうした家を借りてフィンランドで暮らしてみたいものです)。
グリーンはポーチの英訳をイギリスに売り込み、出版にこぎつけました。

最後に、イギリスの新聞社イヴニング・ニューズの重役チャールズ・サットンとヤンソンの出会い。1952年4月30日のことです。
新聞の連載は未経験だったヤンソンですが、サットンの指導によりムーミンはイギリス人の心をつかみます。アーティストとして不安定な収入に悩んでいたヤンソンにとって、連載(定期収入)は何よりもうれしいものでした。

風水の黒門先生が「山奥の小屋で誰にも会わずに自給自足の生活をしている人が、風水の開運術をあれこれやったところで、上がるのは健康運だけ。運は人間関係からもたらされるものだから」と教えてくれました。数々の風水理論よりも強烈に印象に残り、あちこちで吹聴しています。

そして、いつも楽しい時間を共有している天海玉紀先生のブログで、運は人が運んでくることを再確認しました。
lady-joker.com

西洋占星術で大きな出来事が起こるとされたトランジットの時期に、玉紀先生に何も起こらなかったのは、治療院の仕事に集中し患者さん以外の人付き合いを絶っていたから。誰にも会わず、どこにも行かなければ、不運も幸運もやってこないことを自らを実験台として検証するなんて、さすがです。

運を運ぶのは人。たくさんの人に囲まれて、人間関係が複雑な環境にいる人ほど、人生や運の流れはダイナミックで複雑になります。その分、幸運も不運も多いでしょう。人生において、関わる人が少なく、単独で我が道を行くならば、迷いは少なく、可能性もシンプルになるでしょう。運気の流れは比較的平坦で、穏やかに過ぎていきます

トーベ・ヤンソンが毎年の夏は無人島で暮らし、パートナーと母以外の人間関係を絶ったのは、運気のアップダウンの影響を排除して創作に集中するためだったのかもしれません。占いのロジックを知らなくても、本能的にそうした行動を選ぶ人もいるのです。

私は世俗的な人間なので、山奥や無人島暮らしは無理です。人が運んでくれる幸運を享受し、運を下げる人とは距離を置きたいと願っています。
カウチサーフィンやホームステイの話をすると、「ボランティア精神があるんですね」と言われることがあるのですが、ゲストのためではなく、自分の開運のためにやっているのです。

幸運なカウチサーファーを招きたい
d.hatena.ne.jp

多くの出会い(開運)をもたらしてくれた街、ヘルシンキ