翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

思い出のリヴォン・ヘルム

ザ・バンドのドラマー兼ボーカルのリヴォン・ヘルムが4月19日に亡くなりました。

1996年に喉頭ガンと診断され、歌えなくなってしまいましたが、ドラムやマンドリン、ハーモニカを演奏しつつ、喉も奇跡的に回復し、2007年にはアルバム「ダート・ファーマー」をリリース。グラミー賞のベスト・トラディショナル・フォーク賞を受賞しています。

昨年、BS−TBSの番組でウッドストックのスタジオでのライブ活動を見て、老いにも病気にも負けずに音楽を楽しんでいると感心していたのですが、ガンは進行し末期状態となり、ニューヨークの病院で最期を迎えたそうです。

それでも、享年71歳で、家族や友人に見守られて息を引き取るのは、ミュージシャンとしてはとても安らかな最期ではないでしょうか。

「好きなミュージシャンは?」と聞かれて「ザ・バンド」と答えると、「だから、なんていうバンド?」と聞き返されたことがあります。

BANDという一般名詞に「THE」という定冠詞を付けられたのは、ザ・バンドのみ。フォークの神様ボブ・ディランがロックに転向し、従来のファンから「裏切り者」とののしられてもバックバンドを務めました。
人気絶頂期のディランがバイク事故で負傷し、隠遁していたウッドストックで一緒にセッションを行い、地元の人に「ディランの、あのバンド(ザ・バンド)」と呼ばれたことから、そう名乗ることにしたとキーボードのリチャード・マニュエルが映画「ラスト・ワルツ」で語っていました。

ザ・バンドのメンバー5人のうち4人はカナダ人で、唯一のアメリカ人がレヴォン・ヘルムです。
アーカンソー州の綿農家に生まれた南部人。ザ・バンド解散コンサートの映画「ラスト・ワルツ」(マーティン・スコセッシ監督)は繰り返し見ていますが、「ザ・ナイト・ゼイ・ドローブ・オールド・デイキシー・ダウン」は見るたびに心が揺さぶられます。
南北戦争で敗北した南部の地に、勝者である北軍が進軍した夜を描いた曲です。

敗者の悲哀を知る彼だからこそ、情感たっぷりにこの曲を歌い上げたのだと思います。

リヴォン・ヘルムは、アメリカの敗戦国である日本にも深い同情を寄せました。
来日時、新幹線で博多に移動中、スタッフに「広島が近づいたら教えてくれ」と頼んだそうです。広島付近でリヴォンは新幹線のデッキに静かに立ち、黙祷。
「私の国は昔、ここにひどいことをした」と。

ありがとう、リヴォン。

メーテルリンクの「青い鳥」には、死者は眠っているだけで、生きている人が思いだしてくれるたびに目を覚ますとあります。
私が思い出すたび、リヴォンは、私の心の中で生きています。