カウチサーフィンで我が家のゲストとなったニューオリンズ生まれのケネス。
初対面なのですが、2週間ほど毎日メール交換していたので、旧知の仲のように感じます。
南部なまりが心配で「会ったときはゆっくり、シンプルな単語で話してね」と頼んでおきました。
ケネスの返信。
「南部といっても、ニューオリンズはアラバマやミシシッピ、ジョージアといった典型的な南部とは文化や人種構成が少し違う。南部なまりもないよ。国内を旅しても、僕のアクセントはボストンやニューヨーク、シカゴ出身と思われるんだ」
しかし、フィンランド人と英語で会話するよりはかなりハードルが高い。
外国語として英語を習得した人は、日本人の発音がおかしくても、何を言っているのか類推してくれます。ところがネイティブのアメリカ人は、発音がおかしければすぐ聞き返してきます。
やっぱり発音をちゃんと習得しなくては話にならないのか…。
メールだと発音の問題はありません。辞書も使えるし、スペルチェック機能という便利なものもあります。なまじメールで盛り上がりすぎたので、英語のコミュニケーションにあまり問題ないだろうと誤解されたのかもしれません。
ザ・バンドとボブ・ディランのファン同士、映画「ラストワルツ」を見ながらあれこれしゃべりました。ザ・バンドゆかりのミュージシャンがとっかえひっかえ出演する解散記念コンサートの記録映画は、私にとってアメリカ音楽界の教科書のようなもので、ケネスにとってもなじみの曲ばかりです。
外国人旅行者を泊めてあげているというと「それでいくらお金がもらえるの?」という人がいます。
無料だと答えると「なんて酔狂な」みたいな顔をされるのですが、お金が介在すると宿と客の関係になってしまうのでは。気の合いそうな人だけを厳選して、人間関係を築きたいのです。
本場のファンの解説を聞きながら「ラストワルツ」を観賞するだけでも、ケネスを泊めた甲斐があるというものです。
「ラストワルツ」の次に、レニングラード・カウボーイズの「スイート・ホーム・アラバマ」をケネスに見せました。
「これも南部の曲だけど、どう思う?」
「へー、おもしろいね、日本人のバンド?」
思わず、脱力しました。
ヨレ・マルヤランタのリーゼントのかつらは黒髪だし、サングラスをかけているから白人かアジア人かわからなかったのでしょう。彼の英語は明瞭で美しいと信じきっていたのに、ニューオリンズ出身者からすると外国人の英語に過ぎないのか…
「彼の英語、とても上手だと思うんだけど…」
「でもアメリカ人じゃないのはすぐわかるよ」
「ザ・バンドもアメリカ人じゃないでしょ」
「カナダとアメリカ人の英語はそんなに変わらないよ」
このショックをばねにして、10代や20代の若さなら、これから死に物狂いで学んでネイティブ並みの英語を身につけようと決意するかもしれません。
でも、人生の半ばもとっくに過ぎて、道のりの遠さにため息がでます。
先日、中野スオミ教会のフィンランド語教室の歓送迎会で牧師のポウッカ夫妻がこんな話をしてくれました。
いつもきちんとした日本語を話すお二人ですが、ここまで学ぶにはどれほどのエネルギーを要したことでしょう。「10の漢字を覚えたら、9つは忘れます。でもたった1つ覚えた漢字がテレビで流れ、その意味がわかったときのうれしさはとても大きいものです」
外国語の学習は「これでいい」というゴールのないものなんでしょう。英語やフィンランド語を使って少しでも通じ合えることがあれば、それでいいと思って先に進むしかありません。