翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

出会いと別れの巡礼宿

なんとかサンジャンピエドポーにたどり着いたものの、宿に行くための手がかりは手書きの地図のみ。スペイン版SIMを買っているのでフランスでは野良Wi-Fiでしのいでいたのですが、サンジャンピエドポーには使えそうなものがありません。とりあえず巡礼者らしき人たちに着いて行って街の中心に出ました。

最初の計画では到着がお昼だったので散策しながらゆっくり宿を探せばいいと考えていました。ところがパリでの一泊をキャンセルして空港から一気にサンジャンピエドポーまで来たのでもう夕暮れです。心細くなって、スマホの地図を見ながら歩いている若い女性に声をかけました。

「すみません、巡礼事務所はあのあたりでしょうか?」

「到着したばかりでよくわからないけれど、私はとりあえず今日の宿を探しています」

「私もそうです。目印になるにが巡礼事務所なので」と地図を見せました。

「あ、私と同じ宿!」

なん心強いことでしょうか。彼女の名前はサティーナ。イスラエルからパリに出て私と同じ列車で到着したようです。イスラエル人がカトリックの巡礼をするのかと思ったら、ドイツ人でした。若いうちに世界のあちこちを旅しているのでしょう。

二人で宿に到着しましたが、スタッフが誰もいません。私はオーナーとこまめにメールのやり取りをしていたので、ドアの前に名前が貼ってあるから自由に入っていいとサティーナにつたえました。4人部屋ですが、彼女とは別の部屋でした。

ティーナは40日間でサンティアゴまで行き、フィステーラにも足を伸ばすそう。明日の朝にはロンセンバリエスに向けて出発するし、私のゆっくりした旅程とは大違いです。

カミーノ体験記を読むと、仲間を作ってずっと一緒に歩く人もいますが、私はほとんどの人と一度きりの出会いになるはずです。

 

この日、同室だったのはカナダ人のブリジット、ブラジル人のアンジェラとヒッタです。

成田からヘルシンキ、パリ、バイヨンヌ、サンジャンピエドポーの長い移動に疲れ果てて早めに寝ました。ブリジットは翌日一気にロンセンバーリェスまで歩くそうで「5時半ぐらいから荷物まとめてうるさいかもしれないけれど」と恐縮していましたが、アンジェラは「そんなの、大いにうるさくして大丈夫」と南米人らしいおおらかな受け答え。

翌朝、時差ボケで早く目が覚めたのでブリジットを見送ることにしました。この宿のことをあれこれおしえてもらい、ペットボトルの固いキャップを開けてもらうなどお世話になったので。スペイン巡礼を思い立ったきっかけは仕事を引退し、2人の娘も独立。夫はまだ仕事を続けているので、結婚以来初めての一人旅だそうです。

続いてアンジェラとヒッタが起きてきました。私も泊まる予定のオリソンの山小屋まで行くというので、荷物の運搬を頼んだか聞きました。このルートは最初のピレネー越えが最難関なので、ここだけ頼んでおいたのです。2人はそんなサービスがあるならぜひ利用したいと言うので、私が頼んだ会社の連絡先を教えてその場で電話。幸運なことに当日締め切りに間に合い、荷物を取りに来てもらえることになりました。

お礼に彼女たちの朝食のお裾分けをいただきました。地元のチーズを使ったサンドイッチ。アンジェラは筑波大学への留学経験もあり、ブラジルの日系人のお祭りの写真も見せてくれました。そして道中の御守りとしてブラジルのミサンガ。願い事を3つしながら3回結んでリュックにつけます。

あー、私も今日出発だったら、オリソンまで一緒に行けたのに。でも、名残惜しいうちに別れるからこそ忘れがたい思い出が積み重なっていくのかもしれません。

 

宿に2泊してすっかりエネルギーも回復。巡礼事務所で巡礼証明書を発行してもらい、トレッキングポールも購入。まるで巡礼のロールプレイングゲームのようです。

 

サンジャンピエドポーの宿。

連泊の2日目の夕方、街の散策を終えてラウンジにいると次々とチェックインの客が。「自分の名前がドアに貼られている部屋に入ればいいから」とこえをかけていると、スタッフにまちがえられたのか、巡礼事務所や荷物の搬送の相談も受けることに。アルベルゲでボランティアとして働いてみたいと思っていたら、早速なんちゃってオスピタレイラとなりました。