翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)、ビジネス記事翻訳ですが、そろそろリタイア状態へ移行中。JALの「どこかにマイル」で日本各地に出没。ウラナイ8で活動しています。

血縁ゆえの幸福と苦労

世界が騒然となっている時は、何度も楽しんだ心安らぐ物語に逃避したくなります。

ルーシー・モンゴメリの『赤毛のアン』シリーズもその一つで、NETFLIXの『アンという名前の少女』をシリーズ3まで観ました。ところが、現代の価値観によってストーリーが改変されている箇所があり、違和感を覚えました。のどかなアヴォンリーの村にはびこる男性至上主義、人種差別。さらにはカナダ史上最大の汚点の一つである先住民の同化政策のシーンは悲惨です。

もちろん、マリラとマシュウが孤児のアンを引き取ることで大きな喜びを手にするプロセスはきちんと描かれています。

手違いで孤児院から女の子がやってきて、What good would she be to us?(あの子が私たちに、何をしてくれるというの?)というマリラに、マシュウがWe might be some good for her.(私たちのほうが、あの子に何かしてあげられるかも)と答えるやりとりは、いつも心を動かされます。

 

モンゴメリにはアン・シャーリー以外の人々を描いた『アンの友達』『アンをめぐる人々』などの短編集もあります。

よくテーマになっているのが、血がつながっていない者同士の深い縁です。『赤毛のアン』び設定といい、モンゴメリは血縁をあまり信じていなかったのかもしれません。マリラはアンが進学と就職で家を離れた後、遠縁の双子を引き取り老後も安泰。子沢山のレイチェル・リンド夫人は老後は子どもたちの世話にならずマリラと同居します。

たとえば『ロイド老淑女』。

かつて愛した恋人が他の女性と結婚し娘を一人遺して亡くなってしまう。たまたまその娘が近所に下宿しているのを知り、極貧生活の中で娘が喜ぶような贈り物を無記名で贈り続ける老淑女。娘は送り主のことを「妖精のゴッドマザー」と呼び、二人の関係が明らかになった後は実の母娘よりも親密な関係となります。

そして『競売狂い』。

競売でガラクタばかり買ってくる夫がある日家に連れ帰ったのは、男の赤ちゃん。当時は親を亡くした子供の親類縁者がすぐに現れなければ共同体の誰かが育てていたのでしょう。妻はかんかんに起こりましたが、ようやく親類が引き取りに来たときは、一家の愛情を受けてすくすく成長しており、そのまま養子になったという話。

 

代々続く商家や相撲部屋などでは、息子より娘の誕生が喜ばれていたと聞いたことがあります。息子だったら出来が悪くても跡取りにせざるをえないけれど、娘なら優秀な男性を選んで婿にできたからです。子供がいなければ、夫婦養子という手もあります。

結婚して子を育てて孫ができ、家系の繁栄が続く。東洋占術はそうした吉を求める傾向がかなり強いのですが、血縁よりも家業の継承や発展を優先させるという考え方は昔からあったのです。

 

そして血縁は幸福だけでなく、とんでもない苦労をもたらすこともあります。

日本語学校で教えていたころ、北斎の浮世絵をよく授業で取り上げてきました。そこで見つけたのがこの記事。

otakinen-museum.note.jp

北斎は90歳で亡くなるまで筆を握り続け傑作を残していますが、私生活ではとんでもない苦労を抱えていました。孫息子があちこちで借金を作り、孫の母である長女とその夫も死去。北斎が返済するしかなく、孫を「悪魔」と呼びながらも面倒を見続けたそうです。

血縁はすばらしいものですが、一定の年齢になれば血縁からの解放を選んでもいいのじゃないでしょうか。

 

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日本語学校を卒業していく学生には、浮世絵の葉書に別れのメッセージを書いて渡したものです。