50代も半ばも過ぎて、そろそろ静かに暮らしたいと願っているのですが、超高齢化社会を迎える日本では、そんなのんきなことも言ってられないようです。
それよりもまず、私自身の欲の強さ。
「何者かになりたい」という欲が強すぎるのです。
毎日新聞の人生相談で、32歳の専業主婦が「いろいろなことをしたいが一歩が踏み出せない」という悩みを寄せました。
回答者の光浦靖子は、「働きたい、なにかしたいというのは当たり前の欲」だといいます。そして、「手芸をするか、なにかモノを作っていると、なんだか正しいことをしているような、罪滅ぼしのような、心が安定する」とのこと。
なるほど。そういう手作業が好きな人なら、有効でしょう。
だけど私の欲は承認欲求を伴うから面倒です。人から顧みられなくても、満ち足りてくらすためにはどうしたらいいか。
6年前にphaさんのトークショーに行ったのも、そのヒントがあるんじゃないかと思ったからです。
当時、ニートと名乗っていたphaさんですが、著者を次々と出しシェアハウスの活動も行って、今は元ニートとなっています。
結局、私は何かやり続けなくてはいけないんだと割り切りました。
日本語教師という厄介な仕事を新たに始めたのも、外国人が好きという軽薄な動機に加ええて、本業の文筆業が衰退産業で、このままでは仕事で自分が社会から承認されなくなるという恐れがあったから。
そのうち体力も気力も衰えてきたら、「働きたい欲」もなくなっていくのでしょうか。
高齢者の施設で嫌われるのは、現役自慢をする人だそうです。
働けなくなったから、過去の働きぶりに執着するなんて、なんと厄介なことか。
何もしなくても、心安らかに平和に暮らしたい。そうした道を探ることが、これからの人生のテーマです。
釜山のお寺の門前で眠る犬。