占い学校で最初に学んだのは四柱推命でした。その後、周易の講座にも通うようになりました。
「易を身につければ、最終的に『目に映るすべてのことはメッセージ』であると理解できる」と、講座の説明に書かれていました。
卓越した占い師は、わざわざ占い道具を使わなくても、周りから象意を拾い、ズバリと当てます。
中国・宋代の邵庚節 (しょうこうせつ)は、ある日,梅の花を眺めていると、2匹の雀が地面に落ちました。
そこから「若い娘が来て梅の枝を折ろうとして、足を怪我する」と占いました。
実際に、その通りのことが起きました。これが「梅花心易」です。
私はその域には程遠いので、筮竹や算木を使って卦を立てています。
仏教伝道協会でケネス田中先生の講座で「苦とは、ある状態に対する反応を指すのであって、苦しみにつながる状態そのものをいうのではない」という真理を学んでいます。
つまり、苦しむかどうかは自分次第だということ。
ケネス先生はある日、公衆トイレの壁の落書きに次の言葉を見つけたそうです。
Difficulties are inevitable, but suffering is optional.
困難は避けがたい。だが苦しむかどうかは選択の問題だ。
意識を開いている人は、あらゆるところからメッセージを受け取ることができます。
ケネス先生だからこそ、トイレの落書きも悟りの道に通じているのです。
アラン・コーエンもこう書いています。
インスピレーションはいつも驚くようなタイミングで訪れる。
神様は教会にしかいないという人もいますが、私には、歩いている時にも、運動している時にも、シャワーを浴びている時にも、神の声が聞こえてきます。
運のいい人は、占い師なんかに頼らなくても、進むタイミング、引くタイミングが自然にわかるようです。人間関係においても、損得計算ではなく、つきあうべき人とそうでない人を正確に見抜けます。
ただし、運は変化するものですから、それまで幸運だった人も判断が狂うこともあります。そんなとき、占いが役に立つこともあるはずです。
善福寺川公園の桜。ビールとサンドイッチでお花見をしました。