翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

奥日光で温泉の神様にお参り

申子辰(さるねたつ)三合水局の吉方取りで日光に行ってきました。
スペーシアがJRに乗り入れるようになり、新宿から日光に行くのがぐっと便利になりました。同行した風水師の友人は埼玉在住なので、大宮から乗り込んできて、とてもスムーズに合流できました。

友人によれば、日光が風水的に最高とされているのは、四神相応(しじんそうおう)の地であるから。
四神相応とは、「北に玄武、東に青龍、西に白虎、南に朱雀」。北に山、南に湖や沼、東に川、西に道があれば四方位にふさわしい神獣が配置されているとみます。京都の平安京は、玄武が船岡山、青龍が鴨川、白虎が山陰道、朱雀が巨椋池です。

北の吉方取りに来たのだから、日光でも北すなわち玄武の方位を目指そうということになり、日光で一泊した後、バスでいろは坂を上り奥日光まで足を伸ばしました。

日光東照宮のとなりに二荒山(ふたらさん)神社がありますが、日光の地名の由来は、空海が「二荒」を音読みにして日光という漢字を当てたという説があります。二荒山神社の祭神は、男体山(二荒山)、女峯山、太郎山の三山です。

日光に来たのならやはり山に行かなくては。
そして、私のお目当ては湯元の温泉寺です。
日光で宿泊した星の宿の庭園風呂も、浴槽の窓がすべて開放され、屋根のある露天風呂といった趣ですばらしかったのですが、北の日光湯元に向かえば、硫黄泉が湧き出しています。
日光を開いた勝道上人が日光湯元の温泉を発見したのは、延暦7(788)年のこと。
日光東照宮の創建が元和3(1617)年、寛永の大造替が1636年ですから、歴史の長さが違います。

日光湯元のバスターミナルから、温泉寺は歩いてすぐ。お昼前に到着したので、私たち二人の他に入浴客はなく、貸切状態でお湯を堪能しました。乳白色の硫黄温泉には湯の花も浮かんでいます。料金は500円で、入浴後はお茶をいただきながら庭に面した休息所で体を休めました。

イギリス人の女流旅行家、イザベラ・バードは、明治11(1878)年に日光湯元を訪れ、湯治客でにぎわうようすを本国に書き送っています。
現在の日光湯元は、湯治というよりハイキングなどアウトドア活動の拠点というイメージが強いのですが、私は湯治客としてぜひ滞在してみたいと思いました。

友人は10年ほど前に、夫婦でドライブの途中、日光湯元のホテルで立ち寄り湯に入ったことがあるそうです。
あのときのお湯が最高だったと語り草になるぐらい、ベストの温泉だったそうです。その後、再訪することもなかったので、よい機会となりました。

日光湯元には温泉寺だけでなく、温泉神社もありました。元は寺と神社が一緒だったそうで、まさに神仏一体。石段を登ってお参りし「またここを訪れることができますように」温泉の神様にお願いしました。