翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

チャプレン(病院聖職者)の看取り

コロナ危機を言い当ててないから占いなんて意味がないという批判が起こりました。東日本大震災後も同じような流れになり、雑誌の占い原稿の依頼が一気に減りました。

 

迷信みたいなことを排除し、エビデンスに基づいた科学だけに従っていればいいのでしょうか。科学はすべてを解明しているわけではないし、人は数字だけで割り切れません。

 

病床があっても医師と看護師が逼迫し医療崩壊が叫ばれています。もし私がコロナに感染したら若い人に呼吸器を譲りますが、チャプレン(病院聖職者)を求めます。キリスト教でも仏教でもかまいません。そう思うようになったのはこの記事を読んだから。

 

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この日、治療を断念したのは、50代の白人の女性。ほんの数日前までは元気だったんだ、と傍らで夫が泣き叫ぶ。コロナウイルスで持病が悪化し、あっという間に多臓器不全の危篤状態に陥った。 「これ以上、医学にできることはありません」

夫は医師に、そうはっきり告げられた。あとは人工呼吸器でかろうじて命をつなぐだけだ。しかし、夫婦は十分な医療保険に入っていなかった。国民皆保険の制度がないアメリカでは、集中治療室に一日いるだけで1万ドル、100万円以上かかる場合もある。だから医師のもと、「人工呼吸器を切る」という重い決断を迫られる家族が非常に多い。 「神がいるなら、どうして妻を奪っていくんだ!」 現実を受け止められない夫は、関野さんに詰め寄った。 「わかりません。僕も神に怒りを感じます。でも、奥さんはきっと、神に必要とされ、優しさに包まれて旅立っていった。それだけは信じています」 

集中治療室にいるだけで一日100万円! 日本は国民皆保険だから高齢者も集中治療室に入れるでしょうが、今後はどうなるのでしょうか。

アメリカではコロナの別名は「ブーマー・リムーバー/boomer remover」。戦後のベビーブームの時代に生まれ高齢者となった世代がコロナで除去されれば、社会保障費の大幅な削減につながり、産業構造もどんどん効率的になります。高齢者の視聴者が多い日本のテレビでは報道するのもはばかられる言葉です。

 

超高齢化が進む日本では、高齢者より育児や教育をお金をかけてほしいのですが、「お年寄りを見捨てるのか!」と非難されそうです。社会にとってはお荷物の高齢者でも、家族にとってはかけがえのない存在という場合もあるでしょう。あるいは、潤沢な年金をもらい続けるためにどんな形でも生かしておいてほしいという家族もいるそうです。

限られた予算ですべての命を助けるのは不可能。誰かにしわ寄せがいくのは避けられません。そんな状況で死ぬとしても、せめてこうした言葉をかけて送ってほしい。 

 「わかるよ、クソだよねこの世界は。この病室も窮屈で、俺も牧師なのにこんな格好でごめん。でもさ、3分間ここにいるから、なんでもいい。吐き出してくれ。ぶつけてくれ。だから3分たったら、少し落ち着かないか」

 聖職者らしからぬことだってときには言うが、それが関野さんのスタイルだ。そこに患者は安堵し、涙を流して苦しみや不安を吐露する。関野さんはひとことひとことにうなずき、しばし一緒に過ごす。

ときには、呼吸が乱れマスクもできない患者に懇願されることもある。

「不安なんだ。手を握ってほしい」 手袋越しではあるが、しっかりと手を握りしめて、孤独ではないことを伝える。感染のリスクを常に抱えながら、関野さんはコロナ病棟を行き来する。

 

ケネス田中先生の「英語で学ぶ仏教講座」でこんなテーマが取り上げられました。

ケネス先生がカリフォルニア州のお寺の住職をしていた時、50代の女性信徒ががんで亡くなりました。信心深く勤勉で誰からも好かれていたので、多くの信徒から「どうしてがんで亡くなったのが彼女なのか」「どうしてこれほど善い人に悪いことが起きるのか」という疑問が沸き起こりました。

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ケネス先生の教え。

人生を垂直な面(精神領域)と水平な面(世俗)がある。カルマ(因果)は垂直な面だけに作用する。人の一生が成功だったか失敗だったかは水平な視点だけでは判定できない。がんで亡くなった女性信徒は、智慧と慈悲をもって充実した人生を送り、理解と勇気を持って死に向き合った。長く生きたから成功した人生とは限らない。

 

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バンコク郊外の涅槃寺(ワット・ポー)。こんなところに行けるのなら死ぬのも悪くないと思わせるのが宗教の役割の一つでしょうか。

 

金のなる木に花が咲く

ウラナイ8の杏子さん企画の「人生航路ワークショップ」。

緊急事態宣言が出て、オンライン開催も検討したのですが、参加者の方々全員がリアル開催希望とのこと。今回は学校が休みになっていないし、広めの会場で少ない参加者、マスクをはずさず換気しながら実施しました。

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辛丑の1年が自分の命式にどのような影響を与えるかだけでなく、10年ごとの大運の流れも観て長い人生の航路を考えようという趣旨から「人生航路」と名付けました。年配の参加者を予測したのですが、若い方が多いのが意外でした。

せっかくリアルでお会いするので、「金のなる木」の小さな苗も配りました。私が差し葉で増やしたものです。

 

金のなる木を育て始めたのは、フィンランド映画365日のシンプルライフ』を観た6年前です。ヘルシンキに住む若者が所有物すべてを倉庫に預け、1日1個だけ持ち帰ってくるというドキュメンタリー映画。これに刺激を受け、食品と消耗品以外は買わない生活を始めました。 

 

bob0524.hatenablog.com

 

そんな時にベランダの鉢植えが枯れてしまいました。枯れた鉢を放置するのは枯れ井戸と同様に大凶です。生命力があるべきところが死に絶えているのですから。

しかし、買い物はしたくないので、夫に買ってもらったのが金のなる木です。あまり上品じゃない名前ですが、丸みを帯びた葉はかわいらしいし、花より枯れにくいんじゃないかと思って選びました。価格は500円ほどで、片手に載るほどのサイズでした。

 

木は順調に大きくなり鉢が窮屈に。何度か植え替えしました。そして、木の成長に合わせて資産も順調に増え、まさに金のなる木だと感心しました。

昨年の夏、ウラナイ8一周年のトークライブでは、金のなる木をテーマにしてトークライブも行いました。

uranai8.jp

この時も、ウラナイ8のメンバーに金のなる木を配りました。育つ手間のかからない植物ですが、まるさんのところでは枯れてしまったそう。インド占星術の神秘の井戸に降りたまるさんの精神的次元に俗っぽい木が合わなかったのでしょう。

私と金のなる木の相性は抜群で、マンションのリノベのため1カ月ベランダに放置したこともあったのですが、平気でした。世話をしすぎず放置ぎみのほうがいいようです。まさしくお金との関係と同じ。少しでもお金を増やそうと、毎日残高を気にしているとお金はかえって逃げていきます。

 

昨年春のコロナ大暴落では金のなる木に助けられました。

オー・ヘンリーの『最後の一葉』では肺炎になった若い芸術家の女性は病床から見える蔦の最後の一葉が散ると自分も死ぬと思い込みます。それと同じで「私が育てた金のなる木が豊かに茂っているのだから、そのうち相場は戻る」と平静を保てました。

 

次は金のなる木に花を咲かせたくなりました。

夏の水やりを休むと花が咲くそうです。これまでは枯れるのが不安で夏はほぼ毎日水やりをしていましたが、木の生命力を信頼し水を断つことで花が咲くのでしょう。

 

冬の到来とともに愛らしいピンクのつぼみがふくらんできました。 

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「もっと儲けたい」「資産が減るのが不安」と考えてばかりいるのではなく、蓄財を忘れるぐらいがちょうどいいのでしょう。 私が金のなる木を育てたのではなく、金のなる木が私を育てています。次の暴落はいつなのか誰も予測できませんが、この木が元気なら私は大丈夫。

 

カリスマ手相観の日笠雅水先生の本にこんなことが書いてあります。

思春期の頃、特技も才能もない自分は未来がとても不安だった。しかし、「手首の中央からまっすぐ中指に向かって流れる運命線は独立独歩で強運の持ち主」と知り、不安を感じたら手を観て、運命線を頼りの綱とした。

これこそ占いの正しい使い方です。

生まれた時の星や五行の配列で一生が決まるとか、金のなる木に花が咲いたらニューヨーク市場ダウ平均株価最高値更新とか、非科学的で迷信の極み。そもそも占いですべてがわかるのなら、占い師はみんな大富豪になっているはずです。

 

だからとって占いにまったく意味がないわけではありません。不確かで先が見えない世の中で、指針となるものがあるだけで生きるのはかなり楽になります。アルプスの山中で遭難したハンガリーの偵察隊は地図があるのを心の支えにして生還できましたが、持っていたのはピレネーの地図でした。占いは百発百中ではないけれど、地図があるかないかで人生の質は大きく変わっってきます。

冥土の一里塚で考える理想の死に方

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし

 

誕生日ではなく元日に年を重ねる数え年の時代には、お正月にこう感じる人も多かったのでしょう。

 

晦日、こんなニュースを目にしました。

 

別府のビジネスホテルで、自称85歳の高齢女性が部屋のトイレで倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。ホテルには5年4か月滞在し、部屋には現金約750万円あり。滞在期間の宿泊費は700万円超で女性はきちんと払っていた。別府市職員と福祉関係者が高齢者施設を紹介したが、「ホテルが一番落ち着く。親族はいない」と拒否。

別府市役所の担当者「身元が分からずに、行政が火葬の手続きをするのは悲しいことだ。なんとか親族を見つけ、弔ってもらいたい」。

 

市役所の担当者の方は大変だったでしょうが、悲しいどころか、うらやましいと思いました。

コメント欄を見てもそんな意見が大多数。死ぬ直前まで自立して生きていたわけだし、ホテル暮らしには人間関係のしがらみがありません。狭いけど毎日掃除に入ってくれるから部屋はすっきりしているし、光熱費、固定資産税もかかりません。それに別府なら100円とか200円で入れる公共のお湯もあちこちにあります。

5年4か月で700万円なら1カ月11万円ほど。別途食費がかかるけれど、高齢者施設よりずっと快適そう。別府には一泊3000~4000円程度で快適に過ごせるビジネスホテルがたくさんあるそうです。コロナが収まったら、そんな宿を転々と体験宿泊してみたいものです。

 

そしてこんなインタビュー。

kaigo.homes.co.jp

ウラナイ8の玉紀さんが辛丑年の解説で、丑年・丑月・丑日生まれのヒロシを取り上げていたこともあり、興味深く読みました。

 

「家族に看取られて死ぬのが恐ろしい」のはこんな理由から。

だって、周りは生きているのに”自分だけ死んでいく”んですよ。怖くないですか?

 

たぶん、「こいつが死んだら遺産が入ってくる」と思っているやつもいるでしょう。いや絶対いる! 嫁や子供ですら多少は思うんじゃないですかね。悲しいのは悲しいでしょうけど、ちょっとは頭によぎるはず。僕、そういうの、すぐ気づくんですよ。

 

それで、死んだ後に「この人も好きなことやって幸せだったよね」とか、勝手なこと言われるんですよ。その後、すぐに通帳ですよ。お悔みもそこそこに、お金の計算が始まる。そんな状況で、安らかに死んでいけないですもん。

うちの実家の一族だけじゃなかった。子供がいない伯母が亡くなった時も「いくら持っている」が焦点だったし、父はまだ死んでいないのに資産総額を嗅ぎまわろうとする身内もいます。そんな欲にまみれた一族ですから、年下の親族から「子どもがいないあなたの死後の手続きは誰がやるの? 私がやってあげてもいいよ」と言われ、ハゲタカがぶんぶん飛び回っているように感じて背筋がぞっとしました。

 

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ちょっと高くなりますが、サウナと水風呂のあるドーミーインに暮らすのが理想。共立メンテナンスは寮や高齢者施設も運営しているので、いっそのこと死を待つ人向けのホテルを作ってくれたらいいのに。「棺桶でチェックアウト」「霊柩車お迎え付き」とか。

死後の手続き一切を引き受けてくれる生前契約の団体と提携し、すんなり死ねずに入院したり要介護状態になった場合も受け皿を用意しておけば、ホテルにも迷惑をかけなくて済みます。けっこう需要があるのではないでしょうか。子供がいない場合だけでなく、子供がいてもあえて選ぶ人もいるはずです。 

未来の自分に思いやりを

若い頃は新年を機に一念発起し、新しい習慣を身につけようなんて思ったものですが、まず無理。

お屠蘇替わりにスパークリングワインなんか飲んで、いい気分で過ごしているうちに一日が終わってしまいます。

 

ささやかでも続けているのは、朝のお雑煮の下ごしらえを前夜に済ませておくことです。

実家のお雑煮の味つけは塩としょうゆで、ブリが入ります。前夜にごぼう、にんじん、さといもを切って鍋に入れてひと煮立ち。ゆでたほうれん草とかまぼこは切って冷蔵庫に入れておきます。翌朝はオーブントースターでお餅を焼き、鍋に塩を振っておいたブリを投入。焼けたお餅にほうれん草とかまぼこを乗せ、お雑煮をかければできあがりです。夫がこの味を気に入り、年末に加えて、スーパーの初売りでもブリを買い年明けから4日ほど続けています。

以前は、朝起きてから野菜を洗って切るところから始めていました。元日の朝などは年越しで夜更かししているので起きるのもつらいし、面倒でたまりませんでした。

 

下ごしらえができていると、過去の自分に感謝したくなります。これはお雑煮に限らず、すべてのことに通じます。

部屋の掃除や食器洗いはすぐにやること。先延ばしにするほど、未来の自分の足を引っ張ります。家事だけでなく、外出の準備は余裕をもって整えておきたいものですし、年末の買い物や2月の確定申告に向けてやるべきリストを残しておくと、未来の自分が助かります。

 

若い頃は締め切り直前であればあるほど、火事場の馬鹿力で仕事をこなすこともできましたが、今は自信がありません。

さらには高齢者になる前の終活。一昨年、生前契約の法人と契約し、死後の後始末を依頼しましたが、コロナが広がる前の年だからこそ公正証書作成まで行き着くことができました。高齢者相手の法人なので、現在は活動を縮小しているようです。今から何年後になるかわかりませんが、加齢により自由に動けなくなった時、生前契約をしておいた過去の自分に感謝することでしょう。 

 

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クリスマスにフィンランドのヘンリク君から送られてきたクリスマスプレゼントの鍋敷きとコースター、ムーミンのカード。

日本語教師の資格を取って教壇に立ったのも、今より若かったからできたこと。気力があるうちに挑戦して海外からの教え子たちとつながれたのは貴重な体験です。

今は気軽にできることが、だんだん面倒になって、ついにできなくなるでしょう。未来の自分を思いやり、今できることをやっていきます。

 

 

ボブ・ディランの夢と終活

老後は旅人のように過ごしたい。

体の自由がきくうちは、自宅でずっと過ごすのではなく、温泉とサウナ、水風呂のある場所で気ままに滞在したい。自宅は東京都内の駅前にあるので、民泊の条件がゆるくなり、短期貸しで収入が得られるようになれば最高です。

 

そのために必要なのが家の整理。最終的にはトランク一つに私物をまとめることが目標です。

唯一のコレクションといえるのが、ボブ・ディランザ・バンドのCD。海外のサイトで海賊版もどっさり買い込みました。メジャーな曲は配信サイトでいつでも聴くことができますが、マイナーな曲はどうすればいいのでしょう。

  

たとえば、『Bob Dylan's dream』。

With haunted hearts through the heat and cold

We never thought we could ever get old

熱気と冷気に取りつかれた心で

老いることなんて考えもしなかった

 

We thought we could sit forever in fun

But our chances really was a million to one

永遠に楽しく座っていられると思っていた

だけど、そんな確率は100万分の1だった


Bob Dylan - Bob Dylan's Dream (Audio)

 

若い頃にこの曲を聴いて、「たしかに永遠に楽しく座ってなんかいられないよね」と頭の中ではわかっていたのですが、心まで落とし込んでいませんでした。

人生の残り時間が少なくなった今はこの歌詞が迫ってきます。ディランはこれを20代で書いたとは!

 

高齢者の施設に入所後もこうした曲を聞きたいけれど、CDのすべてを持ち込むのは無理でしょう。そもそもCDプレイヤーがなくなるかもしれないし。

 

一方、ディランは着々と終活を進めているようです。

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楽曲の権利を中途半端な形で残しておくと、子孫のいさかいを引き起こすからではないかと推測しています。お金にしておけば、分割も簡単。見事な終活です。

違法ダウンロードで人々が無料で音楽を手に入れるとアメリカの音楽業界が騒いだ時に「もともと何の価値もないんだから問題ない」と言い放ったという逸話もあるぐらいですから、完成した曲に執着がないのかもしれません。

 

 私のささやかなディランとザ・バンドのコレクションも整理すべきでしょう。今ならCDを買い取ってくれる店もあります。年が明けたらCDを電子化する作業にとりかかります。

 

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老化にあらがうのはドン・キホーテのような戦い。淡々と受け入れることにします。