翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

テキサスのリチャード、シカゴのマイケル

コロナが収まったら長い旅に出たいと思うのは、繰り返しこの本を読んでいるから。

 

 

 離婚のダメージで心身共にぼろぼろになったエリザベス・ギルバートはイタリアに4か月、インドに4か月、インドネシアに4か月の合わせて1年の旅に出ました。

そんなスケールの大きい旅は無理だとしても、せめて1週間ほどの暮らすような旅がしたい。伊豆のやすらぎの里でそんな思いを強くしました。

 

そして、できれば人生をよりよく生きるためのヒントを得たい。エリザベスがインドのアシュラムで出会ったテキサスのリチャードのような。

 

リチャードはエリザベスのことを「コントロールフリーク(仕切り屋)」だと指摘してこう言います。

あんたは、なりゆきにまかせるってことを覚えたほうがいい。でないと、あんたは病気になる。二度とまともな眠りは訪れねえだろう。ひと晩じゅう寝返りを打ち、人生にしくじった自分を責めつづける。

 

この訳文があまり好きではないので、少しずつ原文を読んでいます。原書ではこうです。

You gotta learn how to let go, Groceries. Otherwise you're gonna make yourself sick. Never gonna have a good night's sleep again. You'll just toss and turn forever, beatin' on yourself for being such a fiasco in life. 

 

リチャードはエリザベスをGroceries(食料雑貨)と呼びます。イタリアで美食に目覚めたエリザベスが、インドのアシュラムの菜食カフェテリアで二度目、三度めとおかわりしているのを見てつけたあだ名です。「バクショク」と訳されているのですが、あまりピンときません。翻訳はむずかしい。

 

今年が終わろうとしていますが、コロナで計画していたことが頓挫した人が多いでしょう。若い頃の私はコントロールフリークだったので、くやしい思いをしたでしょうが、さすがにこの年になると、リチャードの教え通りに「なりゆきにまかせよう」と流せるようになりました。

 

そして、エリザベスにとってのテキサスのリチャードが、私にとってのシカゴのマイケルです。

マイケルと会ったのは6年前の5月。

 

bob0524.hatenablog.com

 

気持ちよく晴れた初夏の午後、築地の波除神社で待ち合わせしたマイケルは上機嫌。観光案内をしようと思っていたのですが、マイケルは「あちこち見て回るより、ローカルピープルとの会話」を望みました。

 

マイケルはボブ・ディランと同じ1944年生まれ。5月の気持ちのいい午後に聞いた彼の話をよく思い出します。

自宅に客室を整え、社会人はエアビーアンドビーで有料で泊め、若い学生はカウチサーフィンで無料に。年老いても社会と関わって利益を得て、未来を担う若者には惜しみなく援助を与える。物より思い出にお金を使い、人生を楽しむ姿勢が私の老後の指針となりました。

 

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出雲大社を訪れるたびに「縁」の大切さを実感します。

今年の5月に行く予定でしたが、コロナ禍で延期。いつの日か、地元の島根に暮らす親友と再会し、人生を彩る出会いをもたらす八百万の神に感謝を伝えたいものです。

異なる境遇への想像力『メイドの手帖』

年末の大掃除のモチベーションアップに読み始めた本。

 

 

深刻な内容に打ちのめされながら読みふけり、掃除どころではありませんでした。

日本では清掃業者に頼むと、そこそこのお値段でプロの仕事という感じですが、アメリカでは定期的に依頼して、主婦はあまり掃除しないという家も多いようです。

この本を日本に紹介した渡辺由佳里さんのエピソード。アメリカの自宅のトイレ掃除をしていたら娘の友達がやってきて「あなたの家、貧乏なの?」と娘に聞いたそうです。ある程度の収入があれば、掃除を外注するのは当たり前で、自宅のトイレを人に掃除させることに罪悪感もありません。メイドは有色人種や移民の女性が多く、最低賃金で働いています。

 

この本の著者のステファニーは白人女性ですが、28歳でシングルマザーとなり、両親は離婚し二人とも再婚していたために頼ることができず、一時はホームレスシェルターに身を寄せるほどの窮状に。生活費を得るために選んだのがメイドの仕事です。

生活はぎりぎりで、幼い娘に少しでも栄養のある食事をさせようとスーパーに行っても、フードスタンプで買い物をするのでレジ係や前後の客の視線が気になります。日本の生活保護バッシングと同じく、低所得者向けに政府が支給するフードスタンプを使うと、嗜好品を選んでいないか監視されているように感じるのです。

 

ステファニーが掃除をする家は2タイプに分けられます。

メイドは透明人間のようなもので、そこにいない存在とする家。そこでは、ステファニーが働く日のカレンダーに「清掃サービス」「メイド」と書かれています。

もう一方がカレンダーに「ステファニー」と名前を書き込む家。

 

がんを患い、掃除と子どもや甥姪に遺す荷物の山の仕分けのためにステファニーを雇ったウェンディーという高齢の女性は後者のタイプでした。 

 私がキッチンを清掃し終わると、彼女は私にランチを作ってくれ、どうしても一緒にダイニングルームのテーブルに座るようにと言って譲らないときもあった。レースの白いテーブルクロスを見ながら、私たちは互いの子どもたちの話をし、人参スティックを添えた、四分の一の三角形に切りそろえた白いパンのツナサンドイッチを食べた。彼女は砂糖とクリームのパックと、銀のスプーンが添えられたティーカップにインスタントコーヒーを入れてくれ、私たちはそれをくいっと飲んだ。まるで私が子どものころに祖母と真似をしたティーパーティーのようで、彼女にもそう伝えた。ウェンディーは微笑むと、手を振って謙遜した。「きれいなティーカップは使えるときに使っておけっていうものよ」。

 彼女の手はピンクのお花の模様に縁どられたソーサーの上でカップがカタカタと鳴るほど震えていた。 

 

余命を悟ったウェンディーは、病身を奮い立たせてサンドイッチを作り、白いテーブルクロスを敷き、客用のティーカップでもてなしたのでしょう。その心遣いが、日々のやりくりに疲れ果てているステファニーをどれほど慰めたことでしょう。しかも、震える手で小切手を書き「あなたの時間は貴重なんだから」とランチの時間まで同じレートを支払うと言ってくれたのです。「ウェンディーとの思い出は、私の時間に価値があることだけではなく、私自身にも価値があったことを思い出させてくれた」とステファニーは書いています。

 私は彼女の庭の雑草を抜き、荷物の山を仕分けし、家の大掃除をして彼女の家族がすべてやらなくてもいいようにした。ウェンディーは、このような仕事を私に頼むことについて、実にこともなげだった。私は彼女を敬愛していた。奇妙に聞こえるかもしれないけれど、私は自分の人生の終わりも、彼女と同じぐらい平和でありたいと願った。

すばらしい終活。私もそうありたい。

そして、生活苦にあえぎながらきつい仕事に従事せざるを得ない人々への接し方も見習いたい。

 

私はたまたま、時代の波に乗って、きつい労働をする必要はありませんでした。クリスマス前の今の時期も、ぬくぬくとした部屋でパソコンに向かっているだけでお金が入ってきます。そんな状況に慣れきって、恵まれない境遇で疲れ果てている人への想像力が欠如していました。寒風が吹き抜ける屋外で働く人や、混雑している店のレジ係、ちょっとたどたどしい日本語の外国人労働者。少しぐらい余計な時間がかかったとしても、いらいらをぶつけずに、ねぎらいの気持ちで接したいものです。

 

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フィンランドの伝統的な農家の室内。こうした状態を保つためにはかなりの労働が必要でしょう。

ウラナイ8と迎える2020年の冬至

易者にとって一年の始まりは冬至。陰が最も強くなるタイミングでぽつんと一陽が生じて、そこから陽が伸びてきます。一陽来復。この日に次の一年間の指針となる卦を立てます。今年は冬至が月曜なので、前日の日曜にオンラインで年筮の会を開きました。

 

天海玉紀さんの発案で南阿佐ヶ谷のウラナイ・トナカイで年筮の回を始めて開いたのが2015年ですから、今年で6回目となります。トナカイは閉店し、ウラナイ8がスタート。そした昨年まではリアルに集まって講座が開けていたのですが、今年からオンラインに切り替わりました。状況はがらりと変わっても回を重ねていけるのは、ウラナイ8のメンバーのおかげです。

告知から募集、当日のネット環境のセットまで夏瀬杏子さんがすべて取り仕切ってくれました。ハイテク音痴の私はコロナ禍の中、家に引きこもるだけだっただろうに、こうして多くの方々と接点を持つことができるとは、なんてすばらしいことでしょうか。参加された方々それぞれに出た卦が、この一年をよりよく生きるためのヒントになりますように。

 

夕方からウラナイ8のメンバーが久々に集まりました。このご時世ですから、食事は各自持ち込みで、広い会議室に間隔をあけて座り、会話はマスク越し。

思えば去年は横浜のスパイアスの個室を借りて、そのまま泊まりました。そのうちメンバー有志で旅に出るのもいいと思ったのですが、実現するのは何年後でしょうか。

 

前日に玉紀さんとゆみこさん、それに助っ人の杏子さんが加わって開催した「2021年を東西占術で読む」は大盛況。好評につき、録画配信も実施するそうなので、興味のある方はぜひ。

lady-joker.com

 

ウラナイ8では最年長の私。一番若い甘夏さんとは20歳違いです。東洋占術では目上や上司に恵まれないのですが、年下とはうまくいくはず。とはいえ、年を取ると精神もに肉体も衰えて視野が狭くなるのは避けられません。若い人から「あんなふうになったらおしまいだ」ではなく「あんな老後もおもしろいかもしれない」と思われるように、ゆるく広いつながりを続けていきたいものです。

 

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去年の冬至は冷たい雨が降っていましたが、今年は快晴。

私にとっての聖地、登別

父方の家系は瀬戸内海沿岸にルーツがあり、真言宗です。熱心な信徒ではなく、お葬式や法要の時しか意識しません。それでも、高知を旅して室戸岬を訪れた時は「ここで空海は悟ったのか」と感慨深かったし、いつかは高野山の宿坊に泊まってみたいとあこがれていました。今は外国人の僧侶も多いそうです。

仏教の宗派の中でも真言宗はやや異端。特別な修行をして仏の真言を知るという中二病ぽいかっこよさもあります。

 

しかし、2013年のお家騒動を知って以来、私のささやかな信仰は揺らぎつつあります。

高野山真言宗のトップがお布施や賽銭など30億円を日本株のほか、トルコリラ南アフリカランド、 ブラジルレアルなどの新興国通貨に投資し巨額の含み損を抱えたのです。証券会社の言うままに投資した結果だそうです。 

 

このところ夢中になって読んでいる本。

 

舞台は中世イングランド。両親を惨殺され孤児となったフィリップは、修道院に引き取られ、頭角を現して修道院長となり大聖堂の建立に挑戦します。信仰心だけでなく、知恵と胆力を駆使して世間と渡り合う物語は痛快そのもの。それに比べて高野山の高僧のなさけないこと。

 

橘玲氏はこう書いています。

 

アンデルセンの童話「裸の王様」では、愚か者には見えない特別な布地で服を仕立てるという詐欺師に騙された王様が、裸のままパレードを行ないます。家臣や観衆たちは、自分が馬鹿だと思われないよう、見えない衣装を誉めそやしますが、そのとき一人の子どもが「王様は裸だよ!」と叫ぶのです。

高野山の不祥事は、この「裸の王様」によく似ています。密教の修法とは、愚か者には見えない布地のことなのではないでしょうか。

 高僧たちが煩悩にまみれているのなら、開創1200年の華々しい行事も鼻白んでしまいます。金銭欲にとりつかれた彼らが、今回のイベントで投資の損を取り返そうと考えたとしても不思議はないからです――もちろんこれは、こころ卑しき衆生の邪推でしょうが。

先日の玉紀さんのインナーチャイルドカード会でも裸の王様のカードを出した人がいました。「自分は実力以上に評価されているのではないか」という恐れを語ってくれましたが、結局はみんな、裸でもっともらしい服を着ているふりをしているだけなのかも。

 

この10月、登別温泉に行きました。 bob0524.hatenablog.com

 

入りきれないほど種類の多い温泉に加えてサウナと水風呂。第一滝本館は天国のような宿でした。

チェックアウトから空港バスまで時間が空くので立ち寄り湯に行く予定だったのですが、第一滝本館はチェックアウト後も自由に大浴場を使えるというのです。

ただし清掃が始まります。順番にお湯を抜いて磨き掃除に入っても浴槽の数が多いので困りません。打たせ湯は梯子をかけて高い位置まできれいにしているのを見てご苦労なことだと思いました。

チェックアウト後の暇な時間なので入浴客はほとんどいなくて、温泉・サウナ・水風呂・外気浴を堪能しました。脱衣所に戻ると、洗面所に座っている人がいました。しばらくしてまた見ると、同じ場所にうつむくように座っています。もしかして気分が悪くなっているのかも。あわてて声をかけようとして近づくと、掃除をしている人でした。洗面所の隅々まで細かいブラシで磨き上げていたのです。

 

信者から集めた浄罪を増やそうと証券会社に言われるままに投資した高野山の高僧よりも、登別の温泉で打たせ湯や洗面所を隅々まで掃除している人のほうが聖者に近いと思いました。私にとっての聖地は高野山ではなく登別です。 

 

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別府もいたるところに鬼がいましたが、登別にもいます。

一期一会のととのい

伊豆のやすらぎの里養生館では、11月の寒くなりかけた時期ということもあり、水風呂に入っているのは私だけでした。「冷たくないのですか」と声をかけられ、サウナと水風呂の交互浴を説明することがよくあり、「サウナの人」と呼ばれるようになってしまいました。

 

滞在客の若い女性が、熱心にサウナトランスについて質問されました。

サウナの熱気に当たっていると「熱い」とだけしか考えられなくて、水風呂ではただただ「冷たい」だけ。体をよく拭いて外気に当たっていると、脳がバグを起こして熱いのか冷たいのかわからなくなり、自分の体が溶け出して世界と一体になったように感じる。それがいわゆる「ととのう」であり、サウナトランスだと説明しました。

 

すると彼女はこんな話をしてくれました。

「やんちゃしていた男友達がいて、危ない薬物にも手を出していたことがあったのだけど、サウナに通うようになり『合法にキメられるのなら、薬なんか要らない』と立ち直った」

彼女は地元静岡出身で、その男の子が通うようになったのはサウナ―に聖地と崇められている「しきじ」のようです。

 

それほど威力のある「ととのい」ですが、いつも必ずその境地に達するわけではありません。施設によってサウナの温度はまちまちですし、水風呂の温度を管理しているところもあれば、夏はぬるいことも。そして真夏と真冬の外気浴でととのうのはむずかしいでしょう。

 

函館の谷地頭(やちがしら)温泉。430円で温泉とサウナ、水風呂に入り放題。温泉は広々として、露天もあります。あまりにすばらしすぎて、函館に転居したいと思ったほど。

 

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水風呂に入っていると、ご常連から声がかかりました。

「冬になると、冷たくて入れたもんじゃなくなるよ」

見れば水道の蛇口にホースをつけてそのまま水風呂に引き入れています。一切加熱しなければ、極寒の北海道の冬の水風呂は何度になるのでしょうか。そして、雪が降る中の外気浴は、ととのう前に凍死しそうです。

 

次にいつ来られるかわからない旅先のサウナ。ととのいの感覚は一期一会。

行こうと思ったらいつでも行ける新大久保のルビ―パレスや荻窪のなごみの湯も、この春は休業になりました。

サウナのととのいだけでなく、人との出会いも文字通り一期一会。「またきっと会いましょう」と帰国して行った外国人の教え子たちは今ごろどうしているでしょうか。そして、そのうち同窓会でも開こうと声をかけあっていた昔の同級生たちともずいぶん長い間会っていません。

 

残された人生の時間が少なくなるにつれて、一度きりの体験がますます貴重なものになってきます。