コロナが収まったら長い旅に出たいと思うのは、繰り返しこの本を読んでいるから。
離婚のダメージで心身共にぼろぼろになったエリザベス・ギルバートはイタリアに4か月、インドに4か月、インドネシアに4か月の合わせて1年の旅に出ました。
そんなスケールの大きい旅は無理だとしても、せめて1週間ほどの暮らすような旅がしたい。伊豆のやすらぎの里でそんな思いを強くしました。
そして、できれば人生をよりよく生きるためのヒントを得たい。エリザベスがインドのアシュラムで出会ったテキサスのリチャードのような。
リチャードはエリザベスのことを「コントロールフリーク(仕切り屋)」だと指摘してこう言います。
あんたは、なりゆきにまかせるってことを覚えたほうがいい。でないと、あんたは病気になる。二度とまともな眠りは訪れねえだろう。ひと晩じゅう寝返りを打ち、人生にしくじった自分を責めつづける。
この訳文があまり好きではないので、少しずつ原文を読んでいます。原書ではこうです。
You gotta learn how to let go, Groceries. Otherwise you're gonna make yourself sick. Never gonna have a good night's sleep again. You'll just toss and turn forever, beatin' on yourself for being such a fiasco in life.
リチャードはエリザベスをGroceries(食料雑貨)と呼びます。イタリアで美食に目覚めたエリザベスが、インドのアシュラムの菜食カフェテリアで二度目、三度めとおかわりしているのを見てつけたあだ名です。「バクショク」と訳されているのですが、あまりピンときません。翻訳はむずかしい。
今年が終わろうとしていますが、コロナで計画していたことが頓挫した人が多いでしょう。若い頃の私はコントロールフリークだったので、くやしい思いをしたでしょうが、さすがにこの年になると、リチャードの教え通りに「なりゆきにまかせよう」と流せるようになりました。
そして、エリザベスにとってのテキサスのリチャードが、私にとってのシカゴのマイケルです。
マイケルと会ったのは6年前の5月。
気持ちよく晴れた初夏の午後、築地の波除神社で待ち合わせしたマイケルは上機嫌。観光案内をしようと思っていたのですが、マイケルは「あちこち見て回るより、ローカルピープルとの会話」を望みました。
マイケルはボブ・ディランと同じ1944年生まれ。5月の気持ちのいい午後に聞いた彼の話をよく思い出します。
自宅に客室を整え、社会人はエアビーアンドビーで有料で泊め、若い学生はカウチサーフィンで無料に。年老いても社会と関わって利益を得て、未来を担う若者には惜しみなく援助を与える。物より思い出にお金を使い、人生を楽しむ姿勢が私の老後の指針となりました。
出雲大社を訪れるたびに「縁」の大切さを実感します。
今年の5月に行く予定でしたが、コロナ禍で延期。いつの日か、地元の島根に暮らす親友と再会し、人生を彩る出会いをもたらす八百万の神に感謝を伝えたいものです。