翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

何事にも潮時がある

日本語教師を辞めて悠々自適の日々。

以前は、暇になると絶対に飽きると思っていました。

 

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『ぼくたちは習慣でできている』という本には「人の自由時間は1日7時間以上あると、逆に幸福度が下がってしまう」とあります。

本業の原稿執筆は続けていますが、自宅で書いてメールで送ればいいので、通勤時間がありません。昔はめいっぱい仕事を受けて自由時間がほとんどない日々を過ごしていましたが、今は自由時間が7時間以上あります。今のところ幸福度は最大です。

ずっと「社会的に貢献しない人間は生きている意味がない」という呪縛にとらわれていましたが、さすがに還暦が近くなると、「もういいか」という気になってきます。

 

占い仲間の杏子さんのブログ。

 

natsuseannco.com

 

 

杏子さんと知り合った頃は、占いは副業で、理系の資格を持った立派な仕事と占いを兼業していました。理系が苦手で試験も大嫌いな私は「なんてすごい」と思っていましたし、家庭では3人の子供を育てるという日本政府が感謝状を出してもいい存在です。

その杏子さんがこんなふうに書いています。

 

薬の仕事は、「長くやっていたから慣れているし」「どこに行ってもスキルは活かせるし」「人と話すのは好きだし」とずっとやっていましたが、意外と「なんとか学費を出してくれたんだからやらなきゃ」という理由が心の底にあるのは気づいていました。

 

木星期になったら「もういいんじゃないか。元は回収しただろう(笑)」とどうでもよくなって薬の仕事は辞めてしまいました。

杏子さんは木星期で気づきましたが、欲の深い私は木星期どころか土星期で日本語教師を始めました。働きたいのに時代のせいで専業主婦を余儀なくされた母の「女性でも社会に役立つ仕事をするべき」という呪縛にずっととらわれていたのです。ライター業だけに飽き足らず日本語教師を始めましたが、授業準備が大変でほとんど自由時間のない3年間を過ごしました。

 

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何事にも潮時がある。政府は60代、70代でも働くことを求めているようですが、人によって潮時はそれぞれです。

 

日本語教師の仕事を辞めても、かつての教え子が次々と来日します。4月はドイツから、5月は香港から。来月はベルギー、再来月はロシア。日本語教師を続けていたら忙しくて対応できなかったかもしれませんが、今はじっくりと向き合えます。日本語教師の3年間で得た縁で一生楽しめそうです。

 

「もうがんばらなくてもいい」と肩の荷をおろしたのはいいタイミングでした。これこそ潮時だったのでしょう。

 

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鹿児島の指宿はポケモンイーブイの街。気ままに旅ができるのはなんてすばらしいことでしょうか。

 

もっと遠くへ行きたい欲

日本語教師を休職して、自由になる時間が一気に増え、旅にばかり出ています。

時間だけでなく心のゆとりがあるのは、なんとすばらしいことか。

日本語学校に勤めていた頃は旅先でも仕事に追われていましたし、帰り道は「明日からまた授業か」と思うと暗澹とした気持ちになり、ちっともストレス解消になりっませんでした。

 

国内旅行はもっぱらJALの「どこかでマイル」。往復の交通費が要らないから、気軽に出かけられるわけです。こういうサービスはいつ終わるかわかりません。今のうちにマイルを使って、行っておくことにしています。私はJALの旧株主で手をこまねいているうちに株が紙くずになってしまったという苦い経験があります。

「JALはナショナルフラッグなんだから政府がなんとかするだろう」なんていうのは甘すぎる。投資は自己責任。「これはだめだ」と思ったら、さっさと損切り。高い授業料を払って得た教訓です。

 

さて、今月の「どこかにマイル」。

候補で出たのは、札幌、那覇、宮崎、鹿児島。

「どこかにマイル」は4つの候補で「ここはあまり行きたくないけれど、4分の1の確率だから、ここにはならないだろう」という甘い見込みは禁物。4つのどこになってもいいという姿勢で申し込むべきです。

 

そして、結果は鹿児島。

鹿児島は去年の春、指宿まで行きました。この旅は、天海玉紀さんのおかげで行先を占うチャレンジ企画となりました。 

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 指宿まで特急「たまて箱」で南下。線路はさらに枕崎まで続いています。「この先に行きたい」という思いが、今回の鹿児島行きにつながったのでしょう。

    

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東洋占術を学んできて一番良かったのは、人と自分の人生を比べることをやめたことです。人生は決して公平じゃない。与えられたカード(命式)をいかにうまく使うかに血を絞ります。

多くの人が占いに興味を持つのは、自分の欲をかなえたいため。女性誌では占いページが常に人気です。

 

欲望の方向性は人によって違います。出世したい、お金を儲けたい、きれいになりたい、玉の輿に乗りたい、子供を立派に育てたい、きれいになりたい…。 

あれもこれもかなえようとしたら、人生が何年もあってもたりません。

まずは自分の欲をかなえること。私は「もっと遠くに行きたい欲」を最優先しています。

40歳のスケーターと創造性

バンコクでの瞑想体験からの連想でエリザベス・ギルバートの『食べて、祈って、恋をして』を再読しています。

そして、エリザベス・ギルバートはは創造性についての本も出ていことを知りました。

彼女のTED Talkはとてもおもしろかったから、活字でも読んでみることにしました。

 

BIG MAGIC  「夢中になる」ことからはじめよう。

BIG MAGIC 「夢中になる」ことからはじめよう。

 

 

詩人のルース・ストーンの話はいつもわくわくします。

ヴァージニア州の農家に育った子ども時代、畑で農作業を手伝っていたルースには、ときどき詩が自分のほうにやってくる音が聞こえたそうです。詩は、全速力で走る馬のように、田園地帯を一目散に彼女めがけて突進してきます。ルースには、そのたびに何をすればよいか、ちゃんとわかっていました。詩に追い抜かれないよう、母屋に向かって「死に物狂いで走るの」。手遅れになる前に、紙とペンを手にとって詩を捕獲するのです。

 

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創造性は天から降ってくるようなもの。

といっても、それを受け止めるには、持って生まれた才能が必要じゃないかと思っていたのですが、この本の冒頭には「創造的な生き方とは、かならずしもプロのアーティストや芸術一筋の人生を指しているわけではない」とあります。

 

その例として挙げられているのが、40歳になってからフィギュアスケートのレッスンを始めたという友人のスーザンの話。

スーザンは幼いころから大会に出場して、滑ることが大好きでしたが、思春期に入り限界を感じてスケートをやめてしまいます。四半世紀の間、スケートを封印して疲れて気の抜けた中年女になってしまったスーザンは、10代の頃の気持ちを思い出し、再びコーチを雇いリンクの上に立つことにしたのです。

華奢で妖精のような少女に交じって練習するのは気が引けましたが、なんとか克服し、ただひたすら滑っているうちに生きているスーザンは実感を取り戻します。

もう大会で優勝を目指そうなんて思っていません。ただ純粋に滑ることで美しく澄み切った心を取り戻したのです。

エリザベス・ギルバートは、これこそが創造的な生き方だと言います。カーネギーホールで演奏をしたり、カンヌ映画祭パルム・ドールを獲得する必要はないのだと。

 

私はライターといっても、創造性とはかけ離れたところで、淡々と編集者に指定された文字数を埋める仕事をしてきました。そのほうが需要があったし、職人のようなやりがいもありました。

 

才能がないんだから仕方がないと思っていたのですが、スーザンのスケートの話を読んで、私にとっての創造性はズンバのレッスンだと思い至りました。

 

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上手に踊れるわけではありません。かっこいい人たちはスタジオの前列へ。私は後ろ側で踊っているだけで満足です。ズンバ自体、インストラクターの振り付け通りではなく、人にぶつかりさえしなければ、好きに踊っていいという自由なものですから、中高年の参加者もけっこういます。

 

プレッシャーの多い日本語教師を3年間続けられたのは、ズンバのレッスンのおかげです。教室でどんなに失敗しても、スタジオで踊っているうちに気持ちが切り替えられます。

曲のほとんどがスペイン語なので、歌詞の意味もわからず、ただただメロディとリズムに動きを合わせる楽しさ。ダイエットや筋トレなど目標を持ってスポーツクラブに通う人もいるでしょうが、ズンバに来る人は、ただ楽しみたいという人が多いような気がします。

 

心配なのは、そのうち踊れなくなること。いくら健康でも、人間の体には耐用期限があります。足を悪くしてスタジオレッスンを引退し、水泳やヨガに転向した人たちをたくさん見てきました。

まあでも、終わりがあるからこそ、遊びは楽しい。踊れるうちは、何もかも忘れてレッスン時間を楽しむことにします。

 

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バンコクの絢爛豪華なお寺もいいけれど、街角の小さな祠にも創造性があふれています。 

 

親の家の片づけ問題

バンコクからの帰途の機内で観た『家へ帰ろう』。

 

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ホロコーストの傷跡は戦後70年たっても、こんな映画が作られるほど大きかったんだと思うとともに、自分の身につまされるエピソードもありました。

 

88歳にもなるアブラハムが、アルゼンチンからポーランドまではるばる旅をしようと決意したのは、子どもたちに家を売られ、老人ホームに入ることになったからです。

50代の私が東京からブエノスアイレスに行きたいけれど、30時間以上という飛行時間で躊躇しています。高齢で足も悪く、一人暮らしは無理だ判断されたアブラハムが長旅を決意したのは、家を売られるのがそれだけショックだったからでしょう。

 

昨年の冬、父が肺炎で入院。そして、パーキンソン病で施設に入所していた母が死去。

通夜と葬儀、埋葬を私が仕切り、父は病院から参列しました。毎日ヘルパーさんに来てもらうことで一人暮らしを続けていた父ですが、入院生活で足腰がすっかり弱くなり、母がお世話になった施設に入所させてもらうことになりました。

 

東京のマンション暮らしに慣れている身には、神戸の実家の一戸建ては寒くてたまりません。高齢者にはなおさらハードでしょう。母を失いすっかり気落ちした父は、施設暮らしを受け入れました。

 

ところが気候がよくなってくると、やはり施設は窮屈なのでしょう。「ここは牢獄のよう。抜け出したい」と、毎日リハビリに励んでいるようす。

「家に戻りたい」と訴える父に「一人で家にいて、夜中に倒れて孤独死したらどうするの」というと「それこそお前たちが望んでいることじゃないか」と憎まれ口をたたくほど回復しました。映画のアブラハムに似ています。

 

いきなり自宅に帰るのはハードルが高いので、自宅に一泊することから始めています。

そのたびに私は東京から神戸に戻らなくてはいけないので、めんどうだとは思いますが、残りの人生がわずかになってしまったアブラハムも父も、自分の家に帰ることがどんなに重要か。そう思って付き合うようにしています。

 

親の家の片づけは、東西を問わず厄介な問題のようです。

 

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単なる片づけ本だと思ったら大間違い。
著者のリディア・フレムはベルギー在住の精神分析学者。両親はユダヤ強制収容所の生き残りです。
娘がいくらせがんでも、ヒトラーが政権を握ってからの時代については口を閉ざしていました。

 

親の家を片づけることは、家系の歴史と向き合うこと。親の家を片付けるのは両親ともにこの世を去ってからにしようと思います。

 

父の存命中は、親の家はそのままにするつもりです。金勘定が得意な親戚からは「施設に入所したのなら、さっさと売ったほうがいい」とアドバイスされましたが、家を売ってしまうと、父は帰るところがなくなります。父が懸命に働いて手に入れた家で、母と過ごした記憶も残っています。月の大半は空き家になってご近所にはめいわくをかけているでしょうが、なんとかこの状態を続けるつもりです。 

  

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アメリカのスパイでタイに赴任、絹ビジネスで財を作り、マレーシアで謎の失踪を遂げたジム・トンプソンの家。彼にとってはバンコクのこの家こそが自分の家なんでしょう。

 

凡庸な悟りと凡庸な悪 映画『家へ帰ろう』

東京・バンコク間は空路で6時間強。

行きは深夜便なのでなるべく寝るようにして、帰りは朝便なので機内エンターテインメントの映画を見ます。わざわざ映画館まで行かないけれど、ちょっと興味のある映画を見るチャンスです。

 

選んだのがこの映画。

 新聞で映画評を読んで観たいとは思っていたのですが、テーマが重すぎます。

ホロコーストを生き延びたユダヤ人少年のアブラハムがアルゼンチンに渡り、88歳の老人となってポーランドの恩人に会いに行くロードムービー

 

突っ込みどころはあります。

このSNS時代に70年間も音信不通なんてありえるのか。

アブラハムは頑固な老人だから、パソコンやスマホを使うことに抵抗があったのかもしれません。クレジットカードさえ持っていないようで、多額の現金を持ち歩きます。だからこそ物語が展開するわけですが、アブラハムは単に頑固なだけでなく、ポーランド時代の忌まわしい過去を思い出したくなかったからでは。愛する家族をすべて失うという残酷な過去。命を救ってくれた恩人に連絡しなかったのも、過去を封印したかったからでしょう。

 

ホロコーストを生き延びたアブラハムが向かったのがアルゼンチン。

ここで連想するのが、ナチ親衛隊員としてユダヤ人の大量虐殺を指揮したアイヒマンです。ナチスドイツの敗北後、アイヒマンもアルゼンチンに逃れます。

偽名を使い、ひたすら過去を隠して潜伏していたアイヒマンが捕まったのは、1960年3月21日。この日はアイヒマンの結婚記念日でした。ブエノスアイレスの郊外で花束を買うのを調査員が目撃し、逮捕の決め手となります。

日本の既婚男性のうち何割が何十年もたった結婚記念日に妻のために花を買うでしょうか。極悪非道な殺人鬼と愛妻家が両立するなんて。

 

イスラエルで行われた裁判でも、アイヒマンはごくふつうの人でした。命令に従うだけの小役人。ハンナ・アレーストは「悪の凡庸さ」と表現しています。

 

バンコクの寺院でヴィッパサナー瞑想を体験し、師から「ミス・サトリ」と呼ばれ、畏れ多いと思いながら実は気分をよくしていました。エゴの拡大です。

 

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ケネス田中先生の英語で学ぶ仏教講座で、仏陀 Buddhaとは「目覚めた人 Awakened Person」であると教わりました。だれでも、目覚めれば仏陀になれるということです。

凡庸な人間も悟りに至ることがあるし、極悪なふるまいをすることもある。

人間は状況によってどんなふうにも転ぶんだと実感したバンコクの旅でした。

 

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ワット・アルン(暁の寺)の門前で眠る猫。