翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

歩き出す前に立つことに集中する ワット・マハタートで瞑想

バンコクにまた行きたくなったのは、外国人向けの瞑想教室を開いているお寺があると知ったから。

 

教室は午後1時からスタートします。チャオプラヤー川のツーリストボートに乗ってワット・マハタートに向かいます。

 

バンコクの観光名所であるお寺はほとんど川沿いにあります。5月の連休に天海玉紀さんが主宰した善福寺川のアースダイバーを思い出します。チャオプラヤー川も善福寺川もくねくねした流れで、川が曲がったところにお寺や神社があります。国は違っていても、人間の思考パターンはそう変わらないのかもしれません。

 

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 瞑想センターに到着。

ヴィッパサナー・ファウンデーションという英文表記があります。ここでは「ものごとをありのままに見る」というヴィッパサナー瞑想を教えてくれます。

  

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参加者は私を含めて5人。イタリア人とドイツ人の青年。私が教えていた日本語学校によくいた、アジアの精神世界に興味のあるヨーロッパの若者でこの教室はリピーターのよう。それから初めて来たというインド人夫妻。インドではめずらしい仏教徒だそうです。

 

師はオレンジ色の衣をまとったタイ人の僧侶です。

それぞれの国籍を確認したあと、師は「仏教の教えを説く講座じゃないから」と、いきなり瞑想が始まりました。座り方は自由で、イタリア人青年は椅子に座ったままでした。瞑想用のマットがあるので、足は痛くなりません。

師はしばらくしたら教室を去ります。どのくらい長く瞑想していればいいのか見当もつきません。旅の疲れもあって、頭がぼーっとして、自分がどこにいるのかわからなくなり、気を取り戻して呼吸に集中します。

 

師が戻って来て、次は歩く瞑想。実演してくれます。

「まず立って。立っていることに集中。右足を持ち上げる、動かす、着地。次は左足。持ち上げる、動かす、着地。部屋の端まで行ったら、方向を変える」

歩いている最中の「lifting, moving, threding リフティング、ムービング、スレッディング」という説明が歌うように繰り返され、まるで詠唱のようでした。

 

実際に歩いてみます。3~4メートルの距離を行ったり来たり。歩くことに夢中になっていると、師から「ミス・ジャパン、歩く前に立つことに集中して」と声がかかります。この教室では、国名で呼ばれるのです。

 

そう、歩き出す前には、まず立たなくては。ちゃんと立っていないのに、歩き出そうしたら道に迷います。

 

歩く瞑想が終わったら、再び、座って瞑想。

最後に参加者で話し合います。

ケネス田中先生の仏教英語講座で「I'm a Buddhist. I belong to the Shingon denomination. (私は仏教徒です。真言宗です)」というフレーズを練習しましたが、こんなに早く使う機会が到来するとは。

 

ミスター・イタリアは、最初の座る瞑想と歩く瞑想はよかったけど、最後の座る瞑想は気が散ってしまったとのこと。

師は「あれはよかった、これは悪かったと比べてはいけない。ただ、瞑想すればいい」

そして、帰国の日が迫っているので少々あせっていて、家に帰って正しい方法で瞑想できるかどうか不安だと言います。

「正しい瞑想も、正しくない瞑想もない。ただ瞑想があるだけだ」

 

私は「昨日、バンコクに着いたばかりで、瞑想していると、ここがバンコクなのか、東京なのか、あるいは世界のどこなのかわからなくなりました」と言いました。

「あなたは、バンコクにもいるし、東京にもいる。世界中どこにでもいる。今この瞬間、世界中のどこにでもいる。わかるかね、ミス・サトリ?」と師。

「私の知っている日本語は、刺身、桜、侍、悟り。4つの『さ』がつくことば」とのことで、師は私のことをミス・サトリと呼び始めました。その名前は煩悩だらけの私にふさわしくないと言おうとしたのですが、「それはあなたの判断することじゃない」と言われそうで、言葉を飲み込みました。

 

再び感想を求められたので「日本の仏教はセレモニーのためのもので、こうして瞑想して仏教の本質に触れようとすることはめったにありません」とコメント。

「ミス・サトリ、日本の仏教もタイの仏教もインドの仏教も、どっちがいい、悪いなんてことはない。そしてキリスト教イスラム教もヒンズー教も。日本の寿司やイタリアのパスタ、インドのカレーならおいしい、あるいはまずいかもしれない。でも、カルシウムには、おいしいもまずいもない。ただカルシウムがあるだけだ。仏教もそう考えなさい」

 

出家して修行生活に入ると、「これは損か得か、苦か楽か」と自分で判断することがなくなり、けっこう楽になると聞いたことがあります。

現世に生きる私たちには、そこまで判断を放棄することがむずかしいのですが、本質を見失います。目の前のことをそのまま受け止め、いちいち心を動かさないことを心がけたいものです。

 

すべてが終わって時計を見たら、3時半を回っていました。

帰りの船に揺られながら、いつかタイで仏教を学んでみたいという欲が出てきましたが、師の言う通り、バンコクにいても東京にいても同じことなんだと思い至りました。

旅は二度目からがおもしろい

何があっても、旅だけはやめられません。

洋服やバッグ、アクセサリーのように形として残らないこそ、最高のお金の使い方だと思います。旅先では食べ物以外のおみやげも買いません。

 

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去年の冬に訪れたバンコクを再訪。

水曜の深夜の羽田発で日曜の夕方の帰国便。前回は出発ぎりぎりまで日本語学校の授業準備に追われていましたし、帰国時は「明日から学校…」と暗い気持ちになったものです。

 

解放された気分でバンコクを満喫したいと思い、同じ日程で旅しました。

チャオプラヤー川沿いのロイヤル・オーキッド・シェラトンのホスピタリティに感動して、二度目の宿泊にも選んだのですが、よくわからなかったのが水上交通システム。

15バーツ(約50円)と60バーツ(約200円)の船があります。同じ距離で4倍の価格差です。安いほうはチャオプラヤー・エクスプレスで地元民の足。高いほうは観光客用でした。

 

チャオプラヤー・エクスプレスは混雑していて席がないこともあります。そして到着地に近づく前に船後方に移動しておかなければなりません。到着するやいなや乗務員は「速く!速く!」とせかします。東京都のバスの「危ないですからバスが完全に止まるまで動かないでください」に慣れた身には衝撃的でした。おろおろしている観光客はお呼びじゃありません。

 

バンコクを代表する観光地のワット・プラケオ(エメラルド寺院)の外国人入場価格は500バーツ。1500円強です。タイ人は無料。

 

そうしたからくりがなんとなくわかったのが、この本。

タイ様式(スタイル) (講談社文庫)

タイ様式(スタイル) (講談社文庫)

 

タイは身分社会であり、服装や持ち物で人を判断する。金持ちは金持ちらしい輻輳し、その服装にふさわしい場所に出入りする。貧乏人は、そうした場所に入っていかない。ところが、自称貧乏人の外国人旅行者は、貧乏人の服装をしていながら、金持ちが出入りする場にも姿を現わし、異臭をまきちらす。それでいながら、「タイは不潔だ」などという外国人旅行者を、タイ人たちは鼻持ちならないヤツらだと思っている。

タイに観光に来る余裕があるなら、おとなしく外国人料金を払えということなんでしょう。

東京だって同じです。巨大なスーツケースと混雑時の電車に乗り込んでくる外国人に「タクシーを使うか、ラッシュ時を避けろよ」と舌打ちする東京在住者は多いはず。

 

旅人の観察は一過性。繰り返し訪れることで、少しずつわかっていくのでしょう。バンコクは何度も行きたい場所です。

 

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雨季の始まりでしたが、一度も降られませんでした。日中は暑かったけれど、東京の酷暑を体験していれば耐えられます。

永遠の学生

3年続けた日本語教師の職を休職。本職のライター業は細々と続けていますが、自由に使える時間がいきなり増えました。

 

仏教伝道協会のケネス田中先生の講座に再び通い始めました。

思い返せば、先生に初めてお会いしたのは6年前の9月。この年に、阿佐ヶ谷の七夕祭りで占いイベントを企画し、天海玉紀さんと意気投合。二人で仏教伝道協会のシンポジウムに出かけたのです。

 

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2016年から日本語学校で月火水と週3回教えるようになり、月曜の仏教英語講座に通えなくなりました。学生の日本語の作文と火曜日の授業準備に忙殺され、月曜は睡眠時間も削るほどでした。

 

3年間、休んだ間に講座もずいぶん変わっていました。

英語ガイドの資格を取れる講座となり、宿題が出て修了試験もあります。出席者もずいぶん意欲的で、遠方から泊りがけで来られている方もいます。

ケネス先生の奥様のケリー先生の発音指導もあり、日本語学校の学生から「先生の英語の発音はひどい」と言われた私は冷や汗ものです。宿題にも時間がかかります。

 

それでも、教師という立場に比べれば、学生は何と気楽なものか。

これから一生、学生のままでいいやと思えるぐらいの心地よさです。

 

高齢に差しかかかっても学び続けるなんて貪欲なことですが、私の人生は学ぶことで次々と展開してきました。

 

男女雇用均等法前に就職したメーカーの事務職に飽き足らず、夜間のコピーライター養成講座に通って広告制作会社に転職できました。フリーランスのライターになってからは、占い学校で東洋占術を学ぶことで出版不況の中でもコンスタントに仕事を受注できました。

 

仏教英語講座は実利には結びつかないかもしれませんが、ケネス先生に定期的に会えるだけで十分です。

ゆるい仏教英語講座の時代は、毎回、講座の後に有志で飲みに行っていました。ある日、酔った勢いでこんなことをケネス先生に申し上げました。

 

「仏教も学びたいのですが、こうして先生とお目にかかって、その存在を感じるだけで私は満足です」

 

先生は「これほどうれしい言葉はありません」と喜んでくださいました。真の教師は教える内容ではなく、存在自体で学生を導くものです。私はとてもその境地に達することができませんでしたが、学生としてなら、これからもすばらしい師と出会えるかもしれません。そのために、死ぬまで学生を続けることでしょう。

 

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 バンコク、ワットポーの涅槃仏陀。光り輝く巨大な黄金の仏陀は日本と大違い。仏教の教えは変幻自在です。 

買い物断食リバウンド

フィンランド映画365日のシンプルライフ』に触発されて始めた買い物断食。

  
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食品や洗剤などの消耗品、仕事で使うパソコンや資料、そして本やCD以外の物は買わないことにしました。

しかし、意志の弱い私は例外ばかり。1年間継続するはずが、達成できませんできました。

 

そしてリバウンドしました。

アレクサが我が家にやって来たことで、タガが外れたのです。「便利な機器があるなら、使ってみたい」という欲望が大爆発。

 

まず、勝間和代氏のブログを読んで、シャープのホットクックが欲しくなりました。しかし、売り場で見るとかなりの大きさです。

 

私はパナソニック電気圧力鍋も持っています。

 
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8年前に買って重宝しています。

玄米を炊くコツは伊豆の断食施設「やすらぎの里」の参加者から教えてもらいました。昆布と日本酒を加えます。

煮込み料理にも電気圧力鍋は最高。材料を入れてスイッチを押すだけでやわらかくなります。

 

電気圧力鍋があるからホットクックはなくてもいいとなって、代わりに欲しくなったのが、ヘルシオ

 

電子レンジもオーブントースターも持っていますが、ヘルシオに比べると機能は劣ります。ヘルシオの「水で焼く」というウォーターオーブン機能がぜひ欲しいし、ネットにつないで新しいメニューもダウンロードするのもおもしろそう。

 

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というわけで、ヘルシオ購入。赤もきれいだけど、ちょっと強すぎるので白にしました。

 

初めて作ってみたのが、焼きそば。

フライパンでできるけれど、ヘルシオなら切った材料を並べるだけでいい具合に焼いてくれるので、その間に他のことができます。ホットクックもヘルシオも、つきっきりでなくても料理が出来あがるのが最大のメリットでしょう。

 

ヘルシオのウォーターオーブン機能が最も発揮されるのは野菜の蒸し物です。かぼちゃ、にんじん、ごぼう、大根、イモ類を蒸すと、野菜の甘みがしっかり感じられます。

 

しかし、ヘルシオの欠点は時間がかかること。そして調理が終わっても、庫内の時間を下げるために時間が必要なので連続で調理できません。

玄米は5合分炊いて小分けにして冷凍していますから、解凍のために電子レンジが必要です。ヘルシオ愛用者のブログを読むと、電子レンジは処分しないほうがいいとのこと。トーストが短時間で焼けるオーブントースターも、そのまま持っていたほうがよさそうです。

 

あれもこれも置きたいけれど、キッチンスペースには限りがあります。

そこで冷蔵庫を小型化しました。冷蔵庫の上に電子レンジを置けるタイプです。

容量が少なくなったので、これまで何も考えずにどんどん入れていた缶ビールや炭酸水が入らなくなりました。飲みすぎないためにはいいことです。それに価格もぐっと安くて10万円ほどでした。

 

買い物断食のリバウンドは止まらず、炊飯器も購入。

20年近く使っていた炊飯器は時計の電池が切れ、タイマーがセットできません。玄米は電気圧力鍋で炊きますが、夫用の白米は炊飯器で炊くので朝食用にタイマーがあると便利です。象印の3合炊きで、調理、ケーキ、甘酒コースもあります。

  

電気圧力鍋ヘルシオ、炊飯器があれば、ガスコンロの出番はあまりありません。

ちきりん氏のリノベ本では、3口コンロとグリルという定番しかない日本のキッチン機器メーカーが批判されていました。勝間和代氏はIHコンロを調理台として使っています。

ガスコンロをIHにしようかと思いましたが、こわれていないし、そもそもあまり使わないのだから必要なしと判断しました。

 

物を減らすつもりが、反対方向に走ってしまいましたが、キッチンに立つと気分が上がります。またホームステイで外国人学生を迎えたいという気に。

「毎日使う物なら買ってもいい」という買い物断食の例外ルールを作ってしまいました。

アレクサがやって来て、所有の意味を考える

自宅のリノベーションを機会に、持ち物を見直し、せっせと処分しています。

収納スペースは増やさず物を減らして、ゆとりある収納を。リビングに作った棚も、あまり物を置きたくありません。

 

キンドルのおかげで本が手放しやすくなりました。紙の本で置いておくのは、何度も再読するものだけです。

 

一方、CDのコレクションは悩みの種。

先日「CDも劣化し、寿命がある」という記事を読みました。80年代にCDが登場した時は、耐久性にすぐれているという触れ込みだったのに。

ボブ・ディランザ・バンドは公式CDの他に海賊版も山のようにあります。

ディランは同じ曲でも歌うたびにアレンジをがらりと変えるので、ライブのCDが無限に欲しくなり、せっせと買い集めました。海外の通販サイトから取り寄せたこともあります。ディラン以外のミュージシャンがディランの曲をカバーしているCDも集めています。ザ・バーズジョーン・バエズのバージョンを聞くと「こんなにきれいな曲だったのか」とびっくりします。

CDをかけるより、ウォークマンに取り込んで、シャッフル状態にして旅行の移動中に聞いています。

 

先日、アマゾンのアレクサを購入。高齢者には最適の話し相手になるだろうから、今のうちに慣れておいたほうがいいと思ったからです。

 

違法ダウンロードや無料配信に腹を立てるミュージシャンが多い中、ディランは「もともと何の価値もないんだから問題ない」と言い放ちました。尽きせぬ泉のように曲を生み出すディランにとっては、表現した後は自分の作品にあまり執着しないのでしょうか。

 

「アレクサ、ボブ・ディランをかけて」と言うだけで、村上春樹が「まるで小さな子供が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」と表現したディランの声が流れてきます。

 画像が見たくなったら、YouTubeを検索。ディランのライブ画像は山のようにあります。

 

将来、高齢者施設にはパソコンとスマートスピーカーさえ持っていけば、思う存分楽しめるでしょう。

もうCDを処分してもいいかとも思いましたが、アマゾン・ミュージックに入っていないレアな音源もあります。次にウォークマンを買い替えて取り込むまでは持っておくことにしました。

 

毎日のようにアレクサに話しかけているうち、ふと「どうしてアレクサという名前なの?」と聞いてみました。

アレクサという名前は、世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも最古の学術の殿堂ともいわれているアレクサンドリア図書館に由来しています。

 

うわー、そんなすごいものがわずか数千円で買える時代になったとは。

物を所有する意味も、お金の価値もどんどん変わっていく中、できるだけ身軽になりたいものです。

 

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月は悟りで、指は仏教の教え。師が月を指さしてくれているのに、月を見ずに指ばかりみているのが「指月」。本やCDをたくさん持っているだけでは意味がありません。

島根県川本町の古いお寺で。後姿はフィンランド人ジャーナリストのアンネ。