『ヒルビリー・エレジー』は、トランプ大統領を支持する地方の白人労働者を描いた本としてアメリカでベストセラーになりました。
日本人の私は運命論の書として興味深く読みました。
悲惨な家庭環境で育ち、高校を中退しかけた若者が名門のロースクールへ進学し社会的成功を果たしたか。
スーパーマーケットのレジでアルバイトをした作者は、金持ちと貧乏人で購入する食料品が異なることに気づきました。
海兵隊での食生活はきわめて健康的で、13週間のブートキャンプで作者は18キロもやせました。ビリーズ・ブートキャンプがヒットしましたが、アメリカ人が軍隊生活でまずイメージするのはダイエットなのかも。
低所得者層ほど肥満するのは、この本を読んでよくわかりました。
朝は菓子パン、昼はマクドナルド、夜はタコベル。作者の祖母はなんでもフライにするし、ハムのサンドイッチにはポテトチップスを砕いてトッピング。海兵隊でのブートキャンプを終えた作者は、以前と同じように実家での食事を楽しむことができなくなりました。
そして、イェール大学を卒業する頃は、ますます実家の食生活からかけ離れて行きました。なにしろイェール大学のロースクールの学生の95%以上は中流かそれ以上の階層で、実際にはそのほとんどが富裕層なのですから。
作者が大学の友人とクラッカー・バレルというアメリカ南部の家庭料理のレストランチェーンに行った時のエピソード。
作者と祖母にとってクラッカーバレルは最高の料理を出すお気に入りレストランだったのに、友人たちからすれば健康を脅かす油っぽい料理に過ぎませんでした。
先月、横浜の元町中華街のイタリアンレストラン、ラ・ボエムで食べた「豆腐と12種類のヴィーガン・サラダ」900円。アメリカのエリートはおそらくこんな料理を好んで食べているのでは。
野菜の下に崩した豆腐が敷き詰められていて、これだけでかなりお腹いっぱいになり、メインの魚料理を食べて終了。パスタもピザも頼まずに済みました。
食生活と並んで重要なのがお金の管理。
海兵隊では健康や衛生だけでなく金銭管理についても必修の授業があります。
ブートキャンプを終えると毎月1500ドルの給料がもらえます。新兵は先輩の海兵隊員に連れられて銀行に行き、口座を開きます。
初めて車を買いに行く時も、上官が命じて年長の隊員が付き添います。
21%の利率でローンを組もうとする作者に対して、先輩は怒りだし、口座のある銀行に電話して相見積もりを取るように命じます。
経済的に破綻した薬物中毒の母と長く暮らした作者は、ローンを組めるだけだでラッキーだと思い、すぐに飛びつこうとし、ローンの利率を比較検討するなどという知識はまったくなかったのです。
貧乏だから情報弱者になり、お金持ちより割高で不利な契約を選んでしまい、ますます貧乏になってしまうという悪循環。自暴自棄になってアルコールや薬物に手を出し、職と健康を失い、最後は生活保護を受けて生きるしかなくなる。一つ間違えれば作者もそうした人生を歩むところだったという記述がいたるところに出てきます。
この本で最も感動的だったのは、作者も「自分が変わるという経験にかなり近い」というシーンです。
海兵隊の広報官としてイラクに派遣され(貧乏でも進学したいなら海兵隊に行けばいいといっても、生半可なことではなく、戦地で命を落とすリスクだってあるのです)、地域の学校で士官たちが関係者と面会しているあいだ、作者は子どもたちとサッカーをしたり、キャンディや学用品を配ります。
そんななか、とても引っ込み思案な男の子が、おずおずと近づいてきて手を差し出した。小さな消しゴムを渡すと、ぱっとうれしそうな顔になり、このたった2セントのプレゼントを意気揚々と掲げながら、家族のもとへ走っていった。あんなに興奮した子どもの顔は見たことがなかった。
世の中は不公平だとずっと不満を抱いていた作者が、自分は与える側の人間になれると意識が変わったのです。
母と父に対しても腹を立てていた。ほかの子たちが友だちと一緒に車で学校へ送ってもらっているのを尻目に、バスで通学していたことにも憤りを感じていた。
アバクロンビーの服を着られないことにもむかつき、祖父が死んだことにも怒っていた。小さな家に暮らしていることも恨めしかった。それまでの恨みつらみが一瞬にして消えてなくなったわけではないが、戦争に引き裂かれた国に暮らす子どもたちや、水が出ない学校や、あんなにささいなプレゼントに大喜びする男の子をそこで目にしたことで、自分がどれだけ幸運なのかを実感できるようになった。
まるで「受けるよりは与えるほうが幸いである」というイエス・キリストの言葉のようです。
『ヒルビリー・エレジー』、もっと若い頃に読みたかった本ですが、人生の折り返し地点を過ぎた今の私にも、大きな学びがありました。